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2022年04月29日

秋刑


召人(めしうど)京都に着きければ、皆黒衣を脱がせ、法名を元の名に替へて、一人ずつ大名に預けらる。その秋刑を待つ程に(太平記)、

にある、

秋刑、

とは、

処刑。秋は草木を枯らすことから、古代中国では秋官が刑罰を司るとされた(周礼)、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。

「秋官」は、

秋官、其属六十、掌邦刑(周禮)、

とある、

中国、周代の六官(りくかん)の一つ。訴訟、刑罰をつかさどった司法官、

とあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、この「秋」は、

秋は、粛殺を主(つかさどる)る故に云ふ(大言海・字源)、
秋が草木を枯らすように、きびしいことから(広辞苑)、

の故であり、「秋刑」の「秋」も、

秋の気は万物を粛殺するところから、「周礼」で秋官が刑罰をつかさどるのによる(精選版日本国語大辞典)、
秋は、草木の凋落するなれば、刑に譬えて云ふ(大言海)、

となる。

周代の「六官(りくかん)」は、

中央政府の官吏を天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官の六つに分け、それぞれ、治・教・礼・兵・刑・事を分掌させた、その六つの官の総称、

どあり(精選版日本国語大辞典)、天官(てんかん)は、

国政を総轄し、宮中事務をつかさどる官の総称、

「地官(ちかん)」は、

司徒の職で教育・土地・人事などをつかさどる、

「春官(しゅんかん)」は、

王を補佐して祭典や礼法をつかさどる、

「夏官(かかん)」は、

司馬の職で、軍政をつかさどる、

「冬官(とうかん)」は、

司空(しくう)の職で、土木工作の事をつかさどる

もので、この「六官(りっかん)」の長が、それぞれ、

冢宰(ちょうさい)、
司徒、
宗伯、
司馬、
司寇(しこう)、
司空、

となる。「秋官」の長は、

秋官司冦刑官之属(周禮)、

と、

司寇、

となる。この六官の長を、

六卿(りくけい、りっけい)、

といい、

冢宰(ちょさい・ちょうさい)、

が、

六官の長で天子を補佐し、百官を統御した官、

とある(仝上)。

司空・司馬・司徒、

は、

三公の一つ、

とされ、

天子を補佐する三人、

とされる(仝上)。


(「龝(秋)」 https://kakijun.jp/page/aki21200.htmlより)

「秋(龝・穐)」(漢音シュウ、呉音シュ)は、「秋」http://ppnetwork.seesaa.net/article/466853732.htmlで触れたように、

会意。もと「禾(作物)+束(たばねる)」の会意文字で、作物を集めて束ね、おさめること。龝は、「禾+龜+火」で、「龜(カメ)」を日でかわかすと収縮するように、作物を火や太陽でかわかして収縮させることを示す。収縮する意を含む、

とあり(漢字源)、似た趣旨で、

会意兼形声文字です(禾+火+龜)。「穂の先が茎の先端に垂れかかる」象形(「稲」の意味)と「燃え立つ炎」の象形(「火」の意味)と「かめ」の象形(「亀(かめ)」の意味)から、カメの甲羅に火をつけて占いを行う事を表し、そのカメの収穫時期が「あき」だった事と、穀物の収穫時期が「あき」だった事から「あき」を意味する「秋」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji92.htmlが、


(「龝」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8Bより)


(「龝」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8Bより)

別に、

元の字を「龝」+「灬」につくり、穀物につく「龜」(カメではなくイナゴ)を焼き殺す季節の意(白川静)、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%8B

形声。禾と、音符「『龝』+『灬』から成る字」、音符(セウ)→(シウ 龜・火は省略形)とから成る。いねの実りを集める、ひいて、その時期「あき」の意を表す、

とも(角川新字源)あり、殷時代の文字を見る限り、龜とは見えない。

「龝」+「灬」につくり、穀物につく「龜」(カメではなくイナゴ)を焼き殺す季節の意、

が正確なのではあるまいか。


(「刑」 https://kakijun.jp/page/0633200.htmlより)

「刑」(漢音ケイ、呉音ギョウ)は、

会意兼形声。左側の形は、もと井。井(ケイ)は、四角いわくを示す。刑は「刀+音符井」。わくの中へ閉じ込める意を含み、刀で体刑を加えてこらしめる意を示すため、刀印を加えた、

とあり(漢字源)、同趣旨の、

会意形声。「刀」+音符「井」、「井」は「型枠」、罪人を桎梏など型枠にはめ懲らしめること、更に「刀」を添えて体刑の意を加える。同系字に「形」「型」、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%91

会意兼形声文字です。「わく・かた」の象形と「刀」の象形から、刀や手かせや・足かせを使って「罰を加える」、「しおき」を意味する「刑」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1635.htmlあるが、別に、

形声。刀と、音符幵(ケン)→(ケイ)(开は省略形)とから成る。㓝は、会意形声で、刀と、井(セイ)→(ケイ わく、きまり)とから成る。「のり」、転じて、のりに照らしてつみする意を表す、

とあり(角川新字源)、この説の方が自然な気がする。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;(73705)チャイルドレストレイント シート アンカ ブラケット R
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月28日

探竿影草


城の背(うし)ろの深山(みやま)より、這う這う忍び寄りて、薄(すすき)、刈萱(かるかや)、篠竹(しのだけ)などを切って、鎧の札頭(さねがしら)、兜の鉢付(はちつけ 錣(しころ)の最上部)の板(いた)にひしひしと差して、探竿影草(たんかんようそう)に身を隠し(太平記)、

にある、

探竿影草(たんかんようそう)、

は、臨済宗では、

たんかんようぞう、

と訓ますようだが、臨済宗の禅語で、

身を隠す道具のこと、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。いわゆる

師便すなわち喝(かつ)す、

における、

臨済喝、

つまり、

臨済四喝(しかつ)、

の一つとされる。「四喝」は、『臨済録』の「勘弁」第二十一則、



師問僧:「有時一喝、如金剛王宝剣;有時一喝、如踞地金毛獅子;有時一喝、如探竿影草;有時一喝、不作一喝用。汝作麼生会」僧擬議、師便喝、

とあり、

師、僧に問う、「有る時の一喝は、金剛王宝剣の如く、有る時の一喝は、踞地金毛の獅子の如く、有る時の一喝は、探竿影草の如く、有る時の一喝は、一喝の用(ゆう)を作(な)さず。汝作麼生(そもさん)か会す」と。僧議せんと擬(ほっ)するや、師便(すなわち)ち喝す、

とある(呉進幹「臨済禅の南伝と臨済宗の形成)。

「金剛王宝剣の如く」とは、

「金剛王宝剣」とは名刀の中の名刀のこと。この一喝で私たちの煩悩を初め、是非(ぜひ)善悪(ぜんあく)等一切の分別心を截断して、本来の自己に立ち返らせる働き、

で、その一喝を「金剛王宝剣の如し」というhttp://www.rinnou.net/cont_04/zengo/080101.htmlとある。「踞地(こじ)金毛の獅子の如く」とは、

「踞地」は、大地にうずくまること、「獅子」が今にも獲物に向かって飛びかかろうとする瞬間、目をらんらんと輝かせて、四方八方に細心の注意を払って、内に百雷の威力を秘めて大地に踞(こ)す姿に喩たとえて、「踞地金毛の獅子」という、

とあり(仝上)、この一喝は如何いかなる英雄でも肝をつぶすほどすさまじいと言わる。「探竿影草(たんかんようぞう)の如く」とは、

「探竿影草」は、漁師が草の下に魚がいるかいないのか棒で探ることです。この一喝で、出てきた修行者が聖(しょう)か凡(ぼん)か、真(しん)か偽(ぎ)かを探り照らして、その力量を見抜く一喝の故に、「探竿影草の如し」という、

とある。上記兵藤裕己校注『太平記』の注は、その「探竿影草」を、文脈から、迷彩服やカモフラージュに草などを身につけるのと同じ意で「身を隠す道具」と注記したものと思われるが、「探竿影草」は、文字通り、

水の深さをさぐる竿のようなはたらきである

の意になるhttp://one-zen-temple.blogspot.com/2016/05/blog-post_13.html。ただ、これには、

水の深さを測るとか、
魚をとらえる罠とか、
隠れ蓑を着るとか、

等々、様々な解釈がありhttps://www.engakuji.or.jp/blog/29692/

わざわざ世間に出ていき、悩み苦しんでいる人のところにいって、その人が今、どういう問題で苦しんでいるのか、それを一つ一ついっしょになって感じていく働きです、

ともある(仝上)ので、「身を隠して」それをするという含意なのかもしれない。

「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」とは、

前述の三喝のような働きをしない喝、

という意であり、

修行者が修行に修行を重ねて、十年、二十年、練りに練り、鍛えに鍛えて、もはや修するに修するの道なく、学ぶに学ぶの法なきところに至って、一切のアカの抜け切った任運(にんぬん)自在(じざい)、心の欲する所に従って、しかも矩(のり)を踰(こ)えざる大自在(だいじざい)、遊戯(ゆげ)三昧(ざんまい)の境界から発する一喝が、この一喝、

とあり(仝上)、この一喝は、

必ずしも「喝」の形相を取りません。日常茶飯事の一挙手一投足がすべてこれ一喝でなければなりません。「一喝の用を作なさざる一喝」は他の三喝の根源であり、他の三喝を包括もの、

とあり、故に、厳密にいえば、すべての喝はこの、

一喝の用を作さざる一喝、

でなければならないとする(仝上)。この流れは、

第一の金剛王宝剣は、外の世界、誘惑などを断ち切る。これは、仏教の修行の上で言えば、戒・定・慧(三学 悪を止める戒、心の平静を得る定、真実を悟る慧)の戒にあたる。心から湧いてくる憎しみや怒りや貪りを断ち切る。そうして、踞地(こじ)金毛の獅子の、獅子がぐっと構えているようにじっとしている。これは、禅定(心を一点に集中し、雑念を退け、絶対の境地に達するための瞑想の姿)です。禅定の力を得たならば、次は、探竿影草(たんかんようぞう)、外の世界に働いていくことです。今、どういう状況にあるのかを判断する。今、自分がどういう状況にあるか、外に向かって能動的に心を働かせていく。ここまでの三つの喝で、戒・定・慧がきちんとそろっている。最後は、「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」。坐っている姿勢であるとか、こういう語録の言葉であるとか、様々な決まり事などにとらわれずに、自在に働いていく。これは、慈悲行として働いていくわけです、

とあるのがわかりやすい(https://www.engakuji.or.jp/blog/29877/・精選版日本国語大辞典)。つまり、この「臨済四喝」には、きちんと、

戒・定・慧と慈悲行の実践がよく説かれている、

つまり修行のプロセスが示されている(仝上)。「四喝」を、

金剛王宝剣(仁王の刀)、
踞地金毛(獅子のねらい)、
探竿影草(魚をさそう)、
不作一喝(声をださぬ喝)

と整理するものもある(世界大百科事典)。

『臨済録』では、「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」の後、

汝作麼生(そもさん)か会すと。僧議せんと擬(ほっ)するや、師便(すなわ)ち喝す、

とつづく。

「今挙げた四喝、汝はどう、わかったのか?」という臨済の問いに、この僧、わからず擬議します。臨済則ち喝す!

つまり、

喝、

を食らったのである(呉進幹・前掲書)。

作麼生、

は、

主に禅問答の際にかける言葉で、問題を出題する側が用いる表現。「さあどうだ」といった意味合いである、

が(実用日本語表現辞典)。「そもさん」に対し、問題を出題される側は、

せっぱ(説破)、

と応えるのが一般的である(仝上)。

「うけてたとう」「さあ、こい」、

といった意味合いである(仝上)。

最初に喝を放ったのは、

馬祖(ばそ)道一(どういつ)禅師だといわれています。その弟子である百丈(ひゃくじょう)禅師(749~814)は後に述懐しています。
「我れ当時(そのかみ)、馬祖に一喝(いっかつ)せられて、直(じき)に三日耳聾するを得たる」

という凄まじいものであったらしいhttp://www.rinnou.net/cont_04/zengo/080101.html。しかし、

通行本『臨済録』に収録されている「四喝」は、円覚宗演が黄龍慧南校訂『四家録』(約1066年前後)中の『臨済録』を重刊(1120)した時に増補した八則のうちの一則であった。これが『続開古尊宿語要』(1238)、『古尊宿語録』(1267)に引き継がれ、単行本化されて江戸時代の通行本(18 世紀)に至るのである。したがって『臨済録』テキストの二系統のうち、「古尊宿系」に見えるもので、「四家録系」には見えない、

とある(呉進幹・前掲書)。「四喝」は、

『景徳伝灯録』及び『天聖広灯録』によれば、「喝」を発するということは確かに臨済宗の宗風として早くから受け止められていた。しかし、それと同時に、それが安易に模倣されるいわゆる「胡喝乱喝」の現象も現われていた。そこで、「胡喝乱喝」を避けるために「喝」の分類(すなわち「四喝」)が提起された、

と考えられている(仝上)とある。

胡喝乱喝、

つまり、形式化したり様式化したものを厳格化したということなのだろう。

因みに「喝」は、

人を叱咤(しった)する声、またその声を発すること。禅宗では中国唐代以降、種々の意味をもって使用され、師が言詮(ごんせん 言語をもって仏法を説き明かすこと)の及ばぬ禅の極意を弟子に示すための方便として盛んに用いられた。その始まりは馬祖道一(ばそどういつ)・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の師資(師弟)間に行われたとされ、「黄檗希運(おうばくきうん)の棒」「臨済義玄(りんざいぎげん)の喝」と並び称され、言語、思慮を超えた悟境を示す手段とされた、

とあり(日本大百科全書)、とくに臨済宗門下では、「臨済四喝」とよばれる機関(指導の手段)としてまとめられ、修行の指標とされ、のちには葬儀の際の引導にも用いられる(仝上)。


(「喝」 https://kakijun.jp/page/1116200.htmlより)

「喝(喝)」(漢音カツ、呉音カチ)は、

会意兼形声。曷(カツ)は口ではっとどなって、人をおしとどめる意。喝は「口+音符曷」。その語尾のtが脱落したのが呵(カ)で、意味はきわめて近い、

とある(漢字源)。別に、

旧字は、形声。口と、音符曷(カツ)とから成る。のどがかわいて水をほしがる意を表す。借りて「しかる」意に用いる。常用漢字は省略形による、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(口+曷)。「口」の象形と「口と呼気の象形と死者の前で人が死者のよみがえる事を請い求める象形)(「高々と言う」の意味)から、「声を高くして、しかる」、「怒鳴りつける」、「さけぶ」を意味する「喝」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1622.html


(「喝」 小篆(説文解字・漢) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%96%9Dより)

なお無門慧開の『無門関』http://ppnetwork.seesaa.net/article/473155387.htmlについては触れた。

参考文献;
呉進幹「臨済禅の南伝と臨済宗の形成―五代宋初臨済禅の一考察」
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年04月27日

三熱


あら熱や、堪へ難や。いで三熱の炎を醒まさんとて、閼伽井(あかい)の井の中へ蜚(と)びおりたければ(太平記)、

にある、

三熱、

は、「天人五衰」http://ppnetwork.seesaa.net/article/431420217.htmlで触れたように、仏語で、

竜・蛇などのうける三つの苦悩、熱風・熱沙に身を焼かれること、悪風が吹いて住居・衣服を奪われること、金翅鳥(こんじちょう)に(子を)捕食されること、

を指す、とあり(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

三患、

ともいう。因みに、金翅鳥は、

迦楼羅者、是金翅鳥(倶舎論)、

とあるように、

迦楼羅(かるら)、

に同じであり、迦楼羅は、

梵語garuḍaの音写、

金翅鳥は、

garuḍaの訳語、

である(仝上)

「迦楼羅炎」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486022291.htmlで触れたように、金翅鳥は、

インド神話における巨鳥で、龍を常食にする、

とある(広辞苑)が、

インド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。……単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%80、仏教に入って、

八部衆の一つ迦楼羅(かるら)とは別のものであったが、同一視され天竜八部衆の一として、仏法の守護神とされる。翼は金色、頭には如意珠がおり、常に口から火焔を吐くという。日本で言う天狗はこの変形を伝えたものとも言う、

とある(仝上)。

また、「閼伽井(あかい)」は、

仏に供える水を汲む井戸、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)が、「閼伽」は、

梵語アルガarghaの音訳、

で、

阿伽、
遏伽、

とも表記する。

器、
功徳(くどく)水、
水、

と訳す。

価値あるもの、

の意で、

客人を接待するにもっとも必要な水を意味し、転じて神に供える捧(ささ)げ物の意となり、それを盛る容器の総称、

となったが、仏教では、

仏菩薩に献ずる聖水、

をさし、密教では、

仏や諸尊に捧げる六種供養(閼伽、塗香(ずこう)、華鬘(けまん)、焼香(しょうこう)、飲食(おんじき)、灯明(とうみょう))の一として、煩悩(ぼんのう)の垢(あか)を洗うもの、

とされる。一般には、

仏前や墓前などに供える神聖な水、

を、

閼伽水、

とし、この浄水をくむ井戸を、

閼伽井、

という(日本大百科全書・精選版日本国語大辞典)。ために、「閼伽」のみでも、

仏前に供える水を入れる器、

の意とする(仝上)。


(「三」 https://kakijun.jp/page/0302200.htmlより)

「三」(サン)は、「三会」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484736964.htmlで触れたように、

指事。三本の横線で三を示す。また、参加の參(サン)と通じていて、いくつも混じること。また杉(サン)、衫(サン)などの音符彡(サン)の原形で、いくつも並んで模様を成すの意も含む、

とある(漢字源)。また、

一をみっつ積み上げて、数詞の「みつ」、ひいて、多い意を表す、

ともある(角川新字源)。


(「熱」 https://kakijun.jp/page/1563200.htmlより)

「熱」(漢音ゼツ、呉音ネツ・ネチ)は、

形声。埶は、人がすわって植物を植え、育てるさま。その発音を借りて、音符としたものが熱の字(セイ→ゼツ)。もと火が燃えて熱いこと。燃の語尾がつまったことば、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

形声文字です(埶+灬(火)。「人が植木を持つ」象形(「植える」の意味だが、ここでは「然」に通じ(「然」と同じ意味を持つようになって)、「火で焼く」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「あつい」を意味する「熱」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji655.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:三熱 三患
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2022年04月26日

輪宝


この時、虚空より輪宝(りんぽう)下り、剣戟(剣と鉾)降って、修羅の輩(ともがら)を分々(つだつだ)に裂き切ると見えたり(太平記)、

にある、

輪宝、

は、

りんぼう、

とも訓み(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

聖天子の転輪聖王(てんりんじょうおう)が持つ宝器、これが自転して王を先導して四方を征服・教化する、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。


(転輪聖王の石レリーフ、アショーカ王と思われる(紀元前1世紀) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8Bより)

「転輪聖王(てんりんじょうおう)」とは、

従此洲、人壽無量歳、乃至八萬有、転輪王生、……此王由輪旋轉、應導威伏一切、名轉輪王(俱舎論)、

と、

転輪王、

ともいい、

チャクラヴァルティラージャン(cakravartiraajan)あるいは、チャクラヴァルティン(cakravartin)の訳語、

で、

チャクラは「輪」、ヴァルティンは「動かすもの」、

の意味とされ、

古代インドの思想における理想的な王を指す概念、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B

世界は繁栄と衰退の循環を繰り返し、繁栄の時には人間の寿命は8万年であるが、人間の徳が失われるにつれて寿命は短くなり、全ての善が失われた暗黒の時代には10年となる。その後、人間の徳は回復し、再び8万年の寿命がある繁栄の時代を迎える。転輪聖王が出るのはこの繁栄の時代であり、彼は前世における善行の結果転輪聖王として現れる、

とあり(仝上)、転輪聖王は、

四天下を統一して正法をもって世を治める王。輪宝を転じて敵対するものを降伏させるところからこの名がある、

が、輪宝の種類(金・銀・銅・鉄)によって、

金輪王、
銀輪王、
銅輪王、
鉄輪王、

の4種があり、

鉄輪王は鉄の輪宝を持ち、(古代インドの世界観で地球上に4つあるとされた大陸のうち)1つの大陸、

を支配し、

銅輪王は銅の輪宝を持ち、2つの大陸、

を支配し、

銀輪王は銀の輪宝を持ち、3つの大陸、

を支配する。そして最上の転輪聖王である金輪王は、

金の輪宝を持ち、4つの大陸全てを支配する、

とある(仝上)。また、

若以三十二相、観如来者、轉輪聖王則是如来(金剛経)、

と、

輪宝のほかに六宝を有し、身に三十二相をそなえ、

出世間(解脱)の仏と対比される。これらの王が出現するときは、

金輪王は人間の寿命が無量から八万歳の間に出現し、鉄輪王は人寿百歳のとき、他はその間で一定しない、

という(仝上・精選版日本国語大辞典)。

この「転輪聖王」の「輪」とは、

聖王の感得せる輪宝、

の意であり(大言海)、「輪宝」は、

転輪聖王の感得する七宝の一つ、

で(広辞苑)、

車輪の形して、八方に鋒端を出す、これを用ゐて加持すれば、旋轉應導して、一切を威伏す、又、轉輪王の位に即く時、天より感得せしと云ふ宝器、

とある(大言海)。


(輪宝 精選版日本国語大辞典より)

転輪聖王遊行(ゆぎょう)の時、必ず先行して、四方を制する、

とある(仝上)。ちなみに、「七宝(しちほう)」とは

輪宝(チャッカラタナ cakkaratana) 四方に転がり、王に大地を平定させる、
象宝(ハッティラタナ hatthiratana) 空をも飛ぶ純白の象、
馬宝(アッサラタナ assaratana) 空をも飛ぶ純白の馬、
珠宝(マニラタナ maniratana) 発する光明が1由旬にも達する宝石、
女宝(イッティラタナ itthiratana) 美貌と芳香を持つ従順かつ貞節な王妃、
居士宝(ガハパティラタナ gahapatiratana) 国を支える財力ある市民、
将軍宝(パリナーヤカラタナ parinayakaratana) 賢明さ、有能さ、練達を備えた智将、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E8%BC%AA%E8%81%96%E7%8E%8B

また「輪宝」が、転輪王の所持する宝器であるところから、「輪宝」は、

転輪王、
転輪聖王、

の意ともされる(精選版日本国語大辞典)。



「輪」(リン)は、

会意兼形声。侖は、順序よく並ぶ意を含む。輪は「車+音符侖(リン)」で、軸の周りに整然と輻(や)が配列され、組み立てられたわのこと、

とある(漢字源)。ひいては、まるいものの意に用いる(角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(車+侖)。「車」の象形と「3線が合う事を示す文字と文字を書く為にヒモで結んだふだの象形」(「すじ道をたて考えをまとめる」の意味)から車のタイヤが放射状に秩序だって並んでいる、すなわち、「わ(車輪)」を意味する「輪」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji673.html



「寶(宝)」(慣用ホ、漢音呉音ホウ)は、

形声。「宀」+「玉」+「貝」+音符「缶 /*PU/」。音符を除いた部分は、宝石や貝貨といった貴重品が建物に収蔵された様子。{寶 /*puuʔ/}を表す字、

とする説と、

会意。「宀(建物)」に「玉」、「缶」、「貝」といった財貨を集めた様。「缶」は音を表す、

とする説がありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%B6、似ているようだが、

後者については、甲骨文字や金文などの資料と一致していない記述が含まれていたり根拠のない憶測に基づいていたりするためコンセンサスを得られていない、

ともある(仝上)が、

会意。「宀(かこう)+珠+缶(ほとぎ)+貝(かいのかね)」で、玉や土器や財貨などを屋根の下に入れ、大切に保管する意を示す(漢字源)、
会意形声。宀と、王(=玉)と、貝(貨幣)と、缶(フウ)→(ホウ 酒つぼ)とから成る。玉などをつぼに入れて家の中にたいせつにしまっておく、ひいて、財宝の意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(宀+玉+缶+貝)。「屋根・家屋」の象形と「3つ玉を縦ひもで貫き通した」象形と「酒などの飲み物を入れる腹部の膨らんだ土器」の象形と「子安貝(貨幣)」の象形から、屋内に宝石と貨幣と土器がある事を意味し、そこから、「たから」を意味する「宝」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1067.html

とほぼ前者の説である。


(「寶」 甲骨文字 http://jiagumima.cn/html/jiaguwenzidian_3485.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;Φ22 フラッシュシルエットスイッチCWシリーズ 照光押ボタンスイッチ (丸平形)
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;集合計器盤用キャビネット WHO-LW

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2022年04月25日

会笏


ただ、めでたき歌どもにて候へと、会笏せぬ人はなかりけり(太平記)、
敵の村立(むらだ)つたる中へ、会笏もなく懸け入らんとす(仝上)、
其時此老僧、会釈して(仝上)、

などとある、

会笏、

は、

会釈、

の当て字、最初の「会笏」は、

お世辞、

の意、

次の「会笏」は、

名乗り、

の意とある(兵藤裕己校注『太平記』)。最後の「会釈」は、

挨拶、
お辞儀、

の意と思われる。

「会釈」http://ppnetwork.seesaa.net/article/467504382.htmlで触れたように、「会釈(ゑしゃく)」は、

凡そ諸経論の文は、人の信により、意楽(いげふ)によって、様々の会釈(ヱシャク)をのぶる者也(「真如観(鎌倉初)」)、

とあるように、

(仏語)和会(わえ)通釈の意。前後相違してみえる内容を互いに照合し、意義の通じるようにすること(広辞苑)、
仏教用語「和会通釈(わえつうしゃく)」の略である。和会通釈とは、一見矛盾する教義どうしを照合し、根本にある共通する真実の意味を明らかにすることである(語源由来辞典)、
(「和会(わえ)通釈」の意)仏語。一見矛盾しているように思われる異義、異説の相違点を掘り下げて、その根本にある、実は矛盾しない真実の意味を明らかにすること(精選版日本国語大辞典)、
中国語の「仏法を会得し解釈する」が本来の語源(日本語源広辞典)、

等々諸書、

和会通釈(わえつうしゃく)、

を由来とする。確かに、

会得して、心の中に釈然と解き得ること、

の意ではある(大言海)が、また、

相会ひて、打ち解け語らふこと、

の意ともある(大言海)。

「釋(釈)」(漢音シャク、呉音セキ)の字をみると、

会意兼形声。睪(エキ)は「目+幸(刑具)」から成り、手かせをはめた罪人を、ひとりつずつ並べて面通しすること。釋はそれを音符とし、釆(ばらばらにわける)を加えた字で、しこりをばらばらにほぐし、ひとつずつにわけて、一本の線に連ねること。釈は、音符を尺に換えた略字、

とある(漢字源)。「釋」は、「とく」意で、

しめて固めたものを、ひとつひとつ解きほぐす、分からない部分やしこりをときほぐす、

意で、「釈然(しこりがとけてさっぱりする)」「氷釈(氷がとけるようにほぐれる)」等々と使い、そこから、「保釈」といった「いましめをとく」意に転じ、「堅持不釈」と、「すてる」意となる。

「會(会)」(漢音カイ、呉音エ・ケ)の字は、

会意。「△印(あわせる)+會(増の略体 ふえる)」で、多くの人が寄り集まって話をすること、

とある(漢字源)。「会合」「会見」の「あう」とか、「機会」のようなめぐりあわせ、あるいは物事に「であう」意、「会心」の思い当たる意でもある(仝上)。

これらを考えると、「会釈」は、一般には、たしかに、

和会通釈(わえつうしゃく)

由来とされるが、もともと、

会得して、心の中に釈然と解き得ること、
あるいは、
打ちとけ語らふこと、

の意味があった(大言海)ものと思われる。だから、

一言会釈、一坐飲酒(説法明眼論)、

と、

仏教にては、法門の難儀を会得解釈すること、

に転用したのではあるまいか。勿論憶説ではあるが。

和会通釈(わえつうしゃく)、

は、

会通(えつう)、
和会、
融会(ゆうえ)、

ともいい、一般には、

一見矛盾しているように思われる異義、異説の相違点を掘り下げて、その根本にある、実は矛盾しない真実の意味を明らかにする、

意とされ、転じて、

義云。……未知、与此条若為会釈(「令集解(868)」)、
あまりに会釈すぎたり(成簣堂本沙石集)、

と、

あれこれ思い合わせて、納得できるような解釈を加えること

となり、転じて、

大納言の、其の心を会釈せらるるにや(無名抄)。

と、

前後の事情をのみこんで理会する、

意や、

人の心情けなくゑしゃく少なきところも、かかる世界におはせんも恐ろしう(「浜松中納言(11世紀中)」)、

と、

一方的でなくいろいろな方面に気を配ること、
あれこれの事情を考慮に入れること、

つまり、

遠慮会釈なく、

というように、

配慮、
斟酌、
心づかい、

の意になり、

又一定(いちじょう)をとはんをりは、両方に会尺(ゑしゃく)をまうくる由の案どもにて(「愚管抄(1220)」)、

と、

あれこれとやむを得ない事情を説明すること、
言いわけ、
申し開き、

の意から、

入道の弔ひ、当座の会釈とおぼえたり(源平盛衰記)、

と、

相手の心をおしはかって応対すること、
応接のもてなし、

の意や、

大矢の左衛門尉致経、あまたの兵(つはもの)を具してあへり。国司会尺する間致経がいはく(「宇治拾遺(1221頃)」)、

と、

儀礼にかなった応対、
儀礼的な口上を述べること、
あいさつ、

の意に転ずる。それが

Yexacuno(エシャクノ) ヨイヒト(「日葡辞書(1603~04)」)、

の、

好意を示す応対、
態度、
愛想、

の意となり、

えしゃくこぼす(愛敬ある様子をする)、
えしゃくこぼる(愛敬が顔に現われる)、

と使われ、江戸期になって、

役目なれば罷通ると、会釈(ヱシャク)もなく上座に着ば(「浄瑠璃・仮名手本忠臣蔵(1748)」)、

と、

えさく、

とも訛り、

ちょっと頭を下げて礼をすること、
軽いお辞儀、
一礼、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。江戸語大辞典には、

軽くお辞儀する、

の意の外に、

しばしゑしやくせしが(「契情買虎之巻(安永七年(1778))」)、

と、

差し控える、遠慮する、

意でも使って、両者の距離の確認に代わっている。この意味は、

遠慮会釈もなく、

にわずかにその含意が残っている以外、今日は、

軽くお辞儀する、
にこやかにうなずく、
一礼する、

といった意になっている。因みに、「会釈」は、

あしらひ(い)、

と訓ませると、能楽で、

能楽の型の一つ。相手役の方に体を向けて、互いに気持を通わせること、
能の囃子でリズムにはっきりと合わせず伴奏すること、
拍子に合わない謡に、大、小の鼓または大、小の鼓と太鼓でする伴奏、
大、小の鼓または大、小の鼓と太鼓の囃子とは独立した、拍子に合わない笛の伴奏、
シテ、ワキなどの登場、退場の時に奏する伴奏、あしらい出し、あしらい込み、
シテの物着(ものぎ)の間に演奏する物着あしらい、また、シテが橋掛りから舞台に入る時演奏する歩みのあしらいなど、

狂言で、

伴奏すること、リズムに合わせても、色どり程度の伴奏なのでこう呼ぶ、
囃子事の総称。狂言会釈(きょうげんあしらい)とも呼ぶ、
相手に体を向けて適当に応対をすること(「長刀会釈(なぎなたあしらい)」という成句もある)、

俳諧で、

支考の付句論。連句において付け心の分類の1つ「七名(しちみょう)」の内の1つ。打越(うちこし 付句の前々句のこと。付句をする場合、この句と題材、趣向が似ることを嫌う)の難しいときなどに、前句の人の容姿や周辺の器材などをもって程よくその場をあしらってゆく方法、

長唄で、

自由な形で即興演奏する手法、

等々様々な意味で使われる(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

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(「會(会)」 https://kakijun.jp/page/kai13200.htmlより)

「會(会)」(漢音カイ、呉音エ)の字は、

会意。「△印(あわせる)+會(増の略体 ふえる)」で、多くの人が寄り集まって話をすること、

とした(漢字源)が、異説があり、

ふたのある鍋を象り、いろいろなものを集め煮炊きする様を言う、

という象形説(白川静)と、上記、

「亼」(集める)+「曾」(「増」の元字)多くの人が寄り集まることを意味する、

とする会意説(藤堂明保)とがありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%83


(「會」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%83より)

会意。曾(こしき)にふたをかぶせるさまにより、「あう」、ひいて「あつまる」意を表す。教育用漢字は省略形の俗字による(角川新字源)、

象形文字です。「米などを蒸す為の土器(こしき)に蓋(ふた)をした」象形から土器と蓋(ふた)が、うまく「あう」を意味する「会」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji257.html

曾(こしき)説、

の方が目につく。



「釋(釈)」(漢音シャク、呉音セキ)の字も、上記(漢字源)の、

会意兼形声。睪(エキ)は「目+幸(刑具)」から成り、手かせをはめた罪人を、ひとりつずつ並べて面通しすること。釋はそれを音符とし、釆(ばらばらにわける)を加えた字で、しこりをばらばらにほぐし、ひとつずつにわけて、一本の線に連ねること。釈は、音符を尺に換えた略字、

とする説以外に、

形声。釆と、音符睪(エキ)→(セキ)とから成る。種子をよりわける、ひいて、解き分ける、はなつなどの意を表す。常用漢字は俗字による、

とか(角川新字源)、

形声文字です(釆+尺(睪))。「獣の指のわかれている」象形(「分ける」の意味)と「人の目の象形と手かせの象形」(「罪人を次々と面通しする」意味だが、ここでは、「斁(エキ)」に通じ(同じ読みを持つ「斁」と同じ意味を持つようになって)、「固まりを分解する」の意味)から、「分解する」を意味する「釈」という漢字が成り立ちました。

とかhttps://okjiten.jp/kanji1361.html

形成(意味を表す部分と音を表す部分を組み合わせて作られた)文字説、

が目につく。



「笏」(慣用シャク、漢音コツ、呉音コチ)は、

形成、「竹+音符勿(モツ・コツ)」、

で(漢字源)、

「笏」の本来の読みは「コツ」であるが、「骨」に通じるのを忌み、また日本で用いた笏の長さが一尺だったので「尺」の音を借りたもの、

とある(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;(6901)バック ASSY,フロント シート,RH
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;(93400)ゲート アセンブリ; リヤー

ラベル:会笏 会釈
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2022年04月24日

衆合叫喚


ただ衆合叫喚(しゅごうきょうかん)の罪人も、かくやと覚えてあはれなり(太平記)、

にある、

衆合叫喚、

は、

八熱地獄のうち、相対する鉄山が両方から崩れて罪人を圧殺する衆合地獄と、熱湯や猛火の鉄室に入れられた罪人が泣き叫ぶ叫喚地獄、

をさす(兵藤裕己校注『太平記』)。

「八熱(はちねつ)地獄」は、

八大地獄、

の別称で、

八大奈落、

ともいい、仏教で、

殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語などを行なった者が死後におもむく、

といわれ(ブリタニカ国際大百科事典・精選版日本国語大辞典・広辞苑)、

焔熱によって苦を受ける、

八種の地獄、

とされ(広辞苑)、経典により異動があり、大智度論では、

活大地獄、黒縄地獄、合會地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、大熱地獄、大熱大地獄、阿鼻大地獄、

とあり、

是等種々八大地獄周圍其外、後有十六小地獄、

とあり(大言海)、倶舎論では、

衆生が住む閻浮提の下、4万由旬を過ぎて、最下層に無間地獄(むけんじごく)があり、その縦・広さ・深さは各2万由旬ある。その上の1万9千由旬の中に、下から大焦熱・焦熱・大叫喚・叫喚・衆合・黒縄・等活の7つの地獄が重層し、総称して八大(八熱)地獄という、

とあり、原始仏教の経典、長阿含経(じょうあごんきょう)では、階層構造ではなく、十地獄ともども世界をぐるりと取り囲む形で配置され、第一地獄から順に、

想地獄(等活地獄)、
黒縄地獄、
堆圧地獄、
叫喚地獄、
大叫喚地獄、
焼炙(しょうしゃ)地獄(焦熱)、
大焼炙(だいしょうしゃ)地獄(大焦熱)、
無間地獄、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84が、一般には、

等活(とうかつ)、
黒縄(こくじょう)、
衆合(しゅごう)、
叫喚(きょうかん)、
大叫喚、
焦熱(しょうねつ)、
大焦熱、
阿鼻(あび)、

か(ブリタニカ国際大百科事典)、

等活(とうかつ)、
黒縄(こくじょう)、
衆合(しゅごう)、
叫喚(きょうかん)、
大叫喚、
焦熱(しょうねつ)、
大焦熱、
無間(むげん)、

とされる(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大言海)が、阿鼻と無間の違いは訳語の違い。その詳細は「八大地獄」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84に譲るが、八大地獄の第一の「等活地獄」は、

殺生罪を犯した者が堕ちるといわれ、五体を裂かれて粉砕されるが、涼風が吹いて元の身体となり、再び咲かれる苦しみを繰り返す、殺されても前と等しく何度も活きかえされるのでこの名がある、

とある(広辞苑)。黒縄地獄の下に位置する八大地獄の第三の「衆合地獄」は、その10倍の苦を受け、

堆圧地獄、

の別名を持ちhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84

殺生、偸盗、邪淫を犯したものの落ちるところ。鉄山におしつぶされたり、落ちてくる大石につぶされたり、臼の中でつかれたりする苦を受け、また、十六の別所(小地獄)で、さまざまな苦しみを受ける、

という(精選版日本国語大辞典)。その下の第四番目の「叫喚地獄」は、その10倍の苦を受け、

熱湯の大釜(大鍋)の中で煮られたり、猛火の鉄室に入れられて号泣、叫喚する、

とある(仝上)。地獄の最下層に位置する八番目の「無間地獄」は、

阿鼻(あび)地獄、

とも言うが、これは、「阿鼻」が、

梵語avīciの音訳、

で、それを、

無間(むけん)、

と漢訳したための違い。

現世で五逆・謗法などの最悪の大罪を犯した者が落ちる、地獄の中で最も苦しみの激しい所、

とされ(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、

間断なく剣樹・刀山・鑊湯(かくとう 「鑊」は釜の意、釜の中の湯)などの苦しみを受ける、

とあり(広辞苑)、

大きさは前の7つの地獄よりも大きく、縦横高さそれぞれ2万由旬(8万由旬とする説もある)。最下層ゆえ、この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて2000年かかる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E7%8D%84


(「六道絵」(閻魔王庁図・阿鼻地獄図・等活地獄図・人道不浄相図十五幅の一部)鎌倉時代 聖衆来迎寺 https://intojapanwaraku.com/art/2105/より)

衆合叫喚、

が、

衆合地獄と叫喚地獄、

を指すとするなら、

阿鼻叫喚、

は、

阿鼻地獄と叫喚地獄、

を取り合わせた謂いで、

阿鼻地獄の苦に堪えられないで泣き叫ぶさま、

を言うが、それをメタファに、

きわめてはなはだしい惨状を形容する語、

としても使う(広辞苑)。また、他にも、

今生より焦熱大焦熱の、炎に身を焦がしける(善悪報ばなし)、

というように、

焦熱地獄と大焦熱地獄、

を重ねて使うが、「焦熱地獄」は、

八大地獄の第六、殺生、偸盗、邪婬、妄語、飲酒、邪見の者がおちる地獄。罪人は熱鉄や鉄のかまの上に置かれて身をやかれ苦しめられる、

といい(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、

きわめて暑いことのたとえ、

としても使い、「大焦熱地獄」の「大焦熱」は、

pratāpanaの訳語、

で、八大地獄の第七番目。焦熱地獄の下、無間地獄の上にあり、罪人は炎熱で焼かれ、その苦は他の地獄の十倍といわれる。殺生・偸盗・邪婬・妄語・邪見などの罪を犯したものが、無量億千歳にわたって苦を受ける、

といい(仝上)、

焦熱大焦熱、

と重ねることで、その恨みの炎の暑さとすさまじさを強調している。

因みに、地獄には、

熱地獄、

のほかに、

寒地獄、
孤地獄、

の三種があるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%98%BF%E9%BC%BB%E5%8F%AB%E5%96%9Aらしい。


(「地」 https://kakijun.jp/page/0658200.htmlより)

「地」(漢音チ、呉音ジ)は、

会意兼形声。也(ヤ)は、うすいからだののびたサソリを描いた象形文字。地は「土+音符也」で、平らに伸びた土地を示す、

とあり(漢字源・ロッドレスシリンダORVシリーズ 複動形 ORV20X1300シリーズ)、別に、

会意兼形声文字です(土+也)。「土の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「土」の意味)と「蛇」の象形(「うねうねしたさま」を表す)から、「うねうねと連なる土地」)を意味する「地」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji81.html


(「地」 金文・西周 (44447)ホースサポート ブラケット NO.1より)

「獄」(漢音ギョク、呉音ゴク)は、

会意。「犬+犬+言(角立てて言う)」で、二匹の犬が争うようにいがみ合って言い合うことを示す。かたくとげとげしいの意を含む、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%84)。別に、

会意。㹜(ぎん=犾 あらそう)と、言(ことば)とからなり、うったえ争う、ひいて「ひとや」の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(犭(犬)+言+犬)。「耳を立てた犬の象形×2」(「二犬が争うまたは、二犬が見張るまたは、いけにえの犬」の意味)と「取っ手のある刃物と口」の象形(「誓いの言葉または、うったえ争う」の意味)から、「人に威圧感を与える場所(地獄)」を意味する「獄」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1310.html


(「獄」 https://kakijun.jp/page/1463200.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;ドリル 超硬S M2283
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;(54010)スプリング,フロント

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2022年04月23日

曲水の宴


三月には、三日の御燈(帝が北斗七星に燈明を捧げる儀)、曲水(ごくすい)の宴、薬師寺の最勝会(さいしょうえ)、石清水の臨時の祭、東大寺の授戒(太平記)、

とある、

曲水の宴、

は、

詩歌を詠む遊宴、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。「曲水の宴」は、

きょくすいのうたげ(えん)、
ごくすいのうたげ(えん)、

とも訓ませ、

曲水流觴(きょくすいりゅうしょう)、
曲水豊の明かり(めぐりみずのとよのあかり)、

ともいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典・字源)。「曲水」は、

庭園または樹林・山麓を曲がり流れる水、

を意味するが、通常、

曲水の宴の略、

の意で用い、

曲宴、
流觴(りゅうしょう)、
巴字盞(はじさん)、

ともいう(広辞苑・デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)。

庭に曲溝を作り水を引き入れ、公卿がその両側に坐って酒杯を浮かべ、酒杯が上流から流れて来て自分の前を過ぎないうちに詩歌を詠じて酒杯をとって酒を飲む宴、

であり、天平勝宝二年(750)三月三日に、

漢人(からひと)も筏(いかだ)浮かべて遊ぶてふ今日そ我が背子(せこ)花縵(はなかづら)せな(大伴家持)、

と、曲水の宴を詠ったように、

中国の上巳(じょうし)の節句を伝えて、巳(み)の日の祓へとしたが、奈良時代頃から三月三日となり、摂関時代には貴族の邸でも行われた、

とある(岩波古語辞典)。この日の祓いの具として人形を流すことも行われ、

流し雛、

の起源ともされるhttps://omatsurijapan.com/blog/kyokusuinoen-yurai-rekishi/。「上巳」は、

古く中国で、はじめ三月の初めの巳(み)の日を上巳とよび、魏晉以後は三月三日を上巳として、みそぎをして不祥を払う行事が行なわれた、

ことに端を発する(精選版 日本国語大辞典)。ただ、

水上から流れてきた盃が自身の前を流れるまでに歌を詠む、

とする説は、

曲水の宴が行われなくなった室町時代の『公事根源』などの記述が発祥となったとみられ、平安時代の曲水の宴の様子を描いた『御堂関白記』などを見てもこうした事実ではなかったと考えられている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%AE%B4。因みに、室町時代に書かれた有職故実書『公事根源』(一条兼良)には、曲水宴について、

是は昔、王卿など参りて、御前にて詩を作て、講ぜられけるにや、御溝水(ミカハミヅ)に盃を浮べて、文人以下、これを飲む由、康保の御記に載せられたり、……曲水宴は、周の世より始まりけるにや、文人ども、水の岸に並(な)み居て、水上より盃を流して、我が前を過ぎざるさきに、詩を作て、其の盃を取りて飲みけるなり、

とある(大言海)。これによる説らしい。



中国では、

曲水流觴、

として、

此地有崇山峻嶺茂脩竹、又有清流激湍、映帯左右、引以為流觴曲水(王義之・蘭亭集序)、

と、

晉の永和九年(353)三月三日、王義之、文人を会稽山陰の蘭亭にあつめ此の遊びを為す、

とある(字源)のが有名である。

曲折せる水流に盃を泛べて飲む、

とあり(字源)、

盃を水に流して宴を行う(流觴曲水=盃を曲水に流す)、

意である。

その際に詠じられた漢詩集の序文草稿が王羲之の書、

蘭亭序、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B2%E6%B0%B4%E3%81%AE%E5%AE%B4。ここから、この宴が起因した、とする説もある(大言海)が、

武帝(司馬炎(しば えん) 西晋初代皇帝)閒三日曲水之義、皙曰、昔周公城洛邑、因流水泛酒、故逸詩云、羽觴曲水、其来已久、蘭亭之會、襲而作此、非創為也、

とある(晉書・東皙傳)。


(「曲」 https://kakijun.jp/page/0692200.htmlより)

「曲」(漢音キョク、呉音コク)は、

象形、曲がったものさし描いたもので、曲がって入り組んだ意を含む、

とあり(漢字源)、直の対、邪の類語になる。別に、

象形。木や竹などで作ったまげものの形にかたどり、「まがる」「まげる」意を表す。転じて、変化があることから、楽曲・戯曲の意に用いる、

ともある(角川新字源)。


(「曲」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9B%B2より)

「水」(スイ)は、

象形。水の流れの姿を描いたもの、

である(漢字源)。


(「水」 https://kakijun.jp/page/0467200.htmlより)


(「水」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4より)

「宴」(エン)は、

会意兼形声。晏(アン)は、「日+音符安」からなり、日が落ちること。宴は「宀(いえ)+音符晏の略体」で、家の中に落ち着きくつろぐこと。上から下に腰を落としてやすらかに落ち着く意を含む、

とあり(漢字源)、

屋内でくつろぐ、転じて、酒盛りして「たのしむ」意を表す、

とある(角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(宀+妟)。「屋根・家屋」の象形と「太陽」の象形と「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形から、おだやかな日に、女性が室内でやすらぐ事を意味し、そこから、「やすらか」、「くつろぐ」を意味する「宴」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji1518.html


(「宴」 https://kakijun.jp/page/1042200.htmlより)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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コトバの辞典;(51575)エキステンシヨン,リヤ クオータ インナ ライト
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書評;(24004)ハーネス アッシー、サブ、

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2022年04月22日

ギヤー スピードメーター 44806ML0003


あやめも知らぬわざは、いかでかあるべきと思ひながら、いわんかたなく(太平記)、

にある、

あやめも知らぬ、

は、

物事の分別もつかない振舞い、

と注記があり(兵藤裕己校注『太平記』)、

郭公(ほととぎす)鳴くやさつきのあやめ草あやめ知らぬ戀もするかな(古今和歌集)、

の用例が引かれているが、

あやめ(文目)もわかぬ(ず)、
あやめもつかぬ、

などという言い方もし、

あやめもつかぬ暗の夜なれば、ここを何処としるよしなけれど(当世書生気質)、

と、文字通り、

暗くて物の模様や区別がはっきりしないさま、

の意から、それをメタファに、

燈燭(ともしび)滅(きえ)て善悪(アヤメ)もわかず(椿説弓張月)、

と、

物事をはっきり識別できない、
物の区別がわからない、

意や、

あらはれていとど浅くも見ゆるかなあやめもわかずなかれける音(ね)の(源氏物語)、

と、

判断力の不足などで、物事を筋道立てて考えられない、
物事の分別がつかない、

意でも使う(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。「あやめ」は、多く、

文目、

と当てるが、「あやめ」の「あや」は、

文、

と当てると、

水の上に文(あや)織りみだる春の雨や山の緑をなべて染むらむ(新撰万葉集)、

と、

物事の表面のはっきりした線や形の模様、

の意で、それをメタファに、

事物の筋目、

の意でも使うが、この意の場合、

薪を折るに其の木の理(あや)に随ふ(法華経玄賛平安初期点)、

と、

理、

を当てたりする(岩波古語辞典)。また、

沓をだにはかず行けども錦綾(にしきあや)のなかにつつめる斎(いつ)き児も妹にしかめやま(万葉集)、

と、

綾、

と当てると、

綾織物、

の意となり、それをメタファに、

秋来れば野もせに虫のおりみだる声のあやをばたれかきるらむ(後撰和歌集)

と使うと、

表現上の技巧、

の意となる(仝上)。なお、

漢、

も、

あや、

と訓ませるが、

漢人、

の意で、

漢人が文に関することを扱い、文をアヤといったらしい、

とある(仝上)が、

綾の義、古へ、始めて漢土と通じて、職工女を召され、其機織の勝れたるに因りて、遂に其の国名に呼びし語と思はる、秦も、繪(はた)なり、呉(くれ)も、朝鮮語にて、織文の意なり、

とある(大言海)故と思われる。

呉國使将呉所獻手末才伎(タナスヱノテビト)、漢織(アヤハトリ)、呉織(クレハトリ)云々等、泊於住吉津(雄略紀)、

とある、

あやはとり(漢織)、

は、

漢(あや)の繪(はた)織り(ハトリはハタオリの約)、

の約で、

漢の機織女、

の意となる(岩波古語辞典・大言海)。

「あや」は、

合への約(さやぐ、さやぐ。たがへず、たがやす)(大言海)、
アザヤカの略(日本釈名・柴門和語類集)、
アヒヨラス(相寄)の義(名言通)、
感嘆辞のアヤ(和句解・和訓栞・日本語源=賀茂百樹)、

などとあるが、天治字鏡(平安中期)には、

縵、繪无文。阿也奈支太太支奴(アヤナキタケギス)、

とある。「縵」は、「飾りのない絹布」の意なので、「文」の意味は分かるが、「あや」の由来にはつながらない。冗談ではなく、感嘆詞、

あや、

はあるのかもしれない。

手並みの程見しかば、あやと肝を消す、さもあれ手にもたまらぬ人かなと思ひけり(義経記)、

と使う、

感嘆詞「あや」は、古事記の、

阿夜訶志古泥(あやかしこね)、

にも使われている。

因みに、

あやめどり(菖蒲鳥)、

というと、

ほととぎす(杜鵑)の異名、

になる。花の「あやめ」については、「いずれ菖蒲」http://ppnetwork.seesaa.net/article/472100786.htmlで触れた。


(「文」 https://kakijun.jp/page/0455200.htmlより)

「文」(漢音ブン、呉音モン)は、

象形。土器につけた縄文の模様のひとこまを描いたもので、こまごまと飾り立てた模様のこと。のち、模様式に画いた文字や、生活のかざりである文化などの意となる。紋の原字、

とあり(漢字源)、「あや」「模様」の意から、「かざり」の意などでも使い、中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

類に依り形の象る。故に之を文といふ、

とある(仝上)。別に、

象形。胸に文身(いれずみ)をほどこした人の形にかたどり、「あや」の意を表す。ひいて、文字・文章の意に用いる、

とか(角川新字源)、

象形。衣服の襟を胸元で合わせた形から、紋様、引いては文字や文章を表す、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%87

象形文字です。「人の胸を開いてそこに入れ墨の模様を描く」象形から「模様」を意味する「文」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji170.html、「文身(からだに入墨する)」とする説が目につく。


(「文」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%87より)

「目」(漢音ボク、呉音モク)は、「尻目」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486290088.html?1649013975で触れたように、

象形。めを描いたもの、

であり(漢字源)、

のち、これを縦にして「目」、ひいて、みる意を表す。転じて、小分けの意に用いる、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2022年04月21日

羅綺


羅綺にだも堪へざるかたち、誠にたをやかに物痛はしげにて、未だ一足も土をば踏まざりける人よと覚えて(太平記)、

にある、

羅綺(らき)にだも堪へざるかたち、

は、

薄絹の衣の重さにも堪えられそうにないさま、

の意とある(兵藤裕己校注『太平記』)。

羅綺に任(た)へえざるがごとし(陳鴻傳『長恨歌傳』)、

に典拠しているらしい(仝上)。

「羅綺」は、

羅(うすもの)と綺(あやぎぬ あや・模様のある絹の布)、

の意で、それをメタファとして、

美しい衣服、

の意でも使うが、上記の引用は、

うすい絹のように軽いもの、

の喩えとして使っている。「羅」は、

本来、鳥網の意味で、経糸を交互にからみ合わせてその中に緯糸を通し、網をすくうようにして織った、目の粗い絹織物のこと、

をいい、「あやぎぬ」は、

細かい綾模様を織り出した綸子の一種で、きらきらする光沢のある紋織物、

を指すhttp://www.so-bien.com/kimono/%E7%A8%AE%E9%A1%9E/%E7%B6%BA%E7%BE%85.htmlとある。

「羅綺」は、

皆得服綾錦羅綺紈(ガン 白絹)素金銀篩鏤之物(魏史・夏侯尚傳)、

と使う(字源)が、

河北則羅綾紬紗鳳翮葦席(玉海)、

と、

羅綾(らりょう)、

も、

うすぎぬとあやぎぬ、

と、同じ意味になるし、

車乗填街衢、綺羅盈府寺(顔氏家訓)、

と、「羅綺」の逆、

綺羅、

も、

あやぎぬとうすぎぬ、

の意となる(仝上)。「綺羅」は、

隙駟(ゲキシ 月日のたつのが早いこと)追ひがたし、綺羅の三千暗に老いんだり(和漢朗詠集)、

と、

装い飾ること、
はなやかであること、

の意や、

世のおぼえ、時のきら、めでたかりき(平家物語)、

と、

栄花をきわめること、
威光が盛んであること、
寵愛を受けること、

と言った意味でも使う(広辞苑)。

「きら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/449864898.htmlで触れたように、「綺羅」は、

綺羅、星の如く、

と使われ、

綺羅を磨く、

と、

華美を凝らす、

という意で使う。

綺羅星、

は、

綺羅、星の如く、

の意で、

暗夜にきらきらと光る無数の星、

を意味するが、

「綺羅」は美しい衣服のことで、「綺羅、星の如し」は、美しい服の人が居並ぶ様子。「綺羅星」で輝く星とするのは誤解から生じた、

とある(擬音語・擬態語辞典)。


(「羅」 https://kakijun.jp/page/1906200.htmlより)

「羅」(ラ)は、

会意。「网(あみ)+維(ひも、つなぐ)」

とあり(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%85)、

网と、維(つなぐ意)とから成り、あみを張りめぐらす意を表す、

ともあり(角川新字源)、また、

会意文字です(罒(网)+維)。「網」の象形と「より糸の象形と尾の短いずんぐりした小鳥と木の棒を手にした象形(のちに省略)」(「鳥をつなぐ」、「一定の道筋につなぎ止める」の意味)から、「鳥を捕える網」を意味する「羅」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2007.html


(「綺」 https://kakijun.jp/page/1482200.htmlより)

「綺」(キ)は、「綺ふ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/484547997.htmlで触れたように、

会意兼形声。「糸+音符奇(まっすぐでない、変わった形)」、

とあり(漢字源)、「あや」「あやぎぬ」の意で、別に、

会意兼形声文字です(糸+奇)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「両手両足を広げた人の象形と、口の象形と口の奥の象形(「かぎ型に曲がる」の意味)」(「普通ではない人、優れている人」の意味)から、「目をうばうような美しい模様を織りなした絹」を意味する「綺」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2359.html。現存する中国最古の字書『説文解字(100年頃)』には、

綺、文繪(あやぎぬ)也、

とある(大言海)。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;(+)丸皿小ねじ (ステンレス/ブラック)(小箱)
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書評;六角ボルト 全ねじ(鉄/グリーンクロメート)(小箱)

ラベル:羅綺 らき 綺羅 きら
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2022年04月20日

恥しめる


所領の二、三十ヶ国なりとも、替へて賜らでは叶はじとぞ恥(はじ)しめける(太平記)、

にある、

恥しめる、

は、

たしなめる、

意と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。

「恥しめる」は、

恥ぢしめる、

とも表記する(岩波古語辞典)が、

恥(ぢ)しむ、

は、

令恥(はづかしむ)の転、

であり(大言海)、

身づからを、ほけたり、ひがひがしと宣ひはぢしむるは、ことわりなる事になむ(源氏物語)、

と、

恥ずかしめる、
侮辱する、

意(精選版日本国語大辞典・大言海)で、

貪(むさぼ)る心にひかれて、みづから身をはづかしむるなり(徒然草)、

の、

恥づかしむ、

に同じ(仝上)で、

恥ずかしい思いをさせる、
侮辱する、

意である。この、

人を恥ずかしいという思いにさせる、

という意の延長線上で、

千騎が一騎になるまでも、引くなと互いにはぢしめて(太平記)、
コレホド ココロガ カイナウテワ、ブツダウガ アル モノカ、ナラヌ モノカト ココロニ ココロヲ fagiximete(ハヂシメテ)(「天草本平家(1592)」)、

などと、

(恥を知るように)戒める、
たしなめる、

意にもなる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

「はぢ(じ)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/424025452.htmlで触れたように、「はぢ」の語源は、手元では、

端(は)+づ、

とし、

端末にいる劣等感、

とする説(日本語源広辞典)しか見当たらないが、

自分の能力・状態・行為などについて世間並みでないという劣等意識を持つ意、

とする(岩波古語辞典)のと符合しないでもない。

中央から外れている、末端にいる劣等感、

から、

(自分の至らなさ、みっともなさを思って)気が引ける、

となるし、逆に、

(相手を眩しく感じて)気後れする、

となり、結果として、

照れくさい、

という意味になる。「はにかむ」は、

歯+に+噛む、で、遠慮がちに恥ずかしがる様子が、歯に物をかむようなので、はにかむという(日本語源広辞典)、

とする説もあるが、

ハヂカム(恥)の転(大言海・国語の語根とその分類=大島正健)、

とする説の、

恥を知って、恥ずかしがる、

と、

恥、

とつなげた方が、意味の連続性があるのではないか。なお、「はし(橋、端、梯、箸、嘴、階)」http://ppnetwork.seesaa.net/article/473930581.htmlについては触れた。

また、「はじ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/424025452.htmlに当てる漢字には、

恥、はぢ、はづると訓む。心に恥ずかしく思う、論語「行己有恥」、中庸「知恥近乎勇」、
辱、はずかしめ、栄の反。外聞悪しきを言う、転じて賓客応酬の辞となり、かたじけなしと訓む。降屈の義なり拝命之辱とは、貴人の命の降るを拝する義なり、曲禮「孝子不登危、懼辱親也」、
忝、辱に近し。詩経「亡忝爾所生」、
愧、おのれの見苦しきを人に対して恥ずる。醜の字の気味あり、媿に作る。韓文「仰不愧天、俯不愧人、内不愧心」、
慙、慙愧と連用す、愧と同じ。はづると訓むが、はぢとは訓まず。孟子「吾甚慙於孟子」、
怍、はぢて心を動かし、色を変ずるなり。礼記「容母怍」、
羞、はぢてまばゆく、顔の合わせがたきなり、婦女子などの、はづかしげにするなどに多く用ふ、
忸・怩・惡の三字、ともに羞づる貌、
僇(リク)、大辱なり、さらしものになるなり、
赧(タン・ダン)、はぢて赤面するなり、
詬(ク・コウ)、悪口せられてはづる義、言に従ひ、垢の省に従ふ、

等々とある(字源)。別に、

羞は、恥じて心が縮まること、愧は、はずかしくてこころにしこりがあること。「慙愧」と熟してもちいる。辱も柔らかい意を含み、恥じて気後れすること。忸は、心がいじけてきっぱりとしないこと。慙は、心にじわじわと切り込まれた感じ、

とあり(漢字源)、『字源』の説明と微妙にずれる。


(「恥」 https://kakijun.jp/page/1096200.htmlより)

「恥」(チ)は、

会意兼形声。耳(ジ・ニ)は、やわらかいみみ。恥は「心+音符耳」で、心が柔らかくいじけること、

とある(漢字源)が、別に、

会意。「心」+「耳」、恥ずかしくてその様子が耳に出る様。「耳」は音符、かつ、柔らかいことを象徴し、心がなよなよとすることを表わすとも(藤堂)

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%A5

会意文字です(耳+心)。「耳」の象形と「心臓」の象形から、はずかしくて耳を赤くする事を意味し、そこから、「はじる」、「はじ」を意味する「恥」という漢字が成り立ちました

ともあり(G8812)マッドガード RR RH

恥ずかしくてその様子が耳に出る様、

はよく「恥」の体感を言い得ている気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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ラベル:恥しめる
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2022年04月19日

そこばく


ゆえに、若干(そこばく)の人を殺し、国土を殞(ほろ)ぼしつ(太平記)、
官軍、矢の一つをも射ずして、若干(そこばく)の賊徒を征(たいら)げ候ひき(仝上)、

などとある、

そこばく、

は、

大勢、
多くの、

の意であり(兵藤裕己校注『太平記』)、

廻りける勢に、後陣を破られて、寄手若干(そくばく)討れにければ(仝上)、

と、

そくばく、

とも訓ませる。「そこばく」に当てた、

若干(じゃっかん)、

は、漢語であり、

干は一十に従ふ、一の如く十の如しの意、

とも(字源)、

干は、若一、若十の、一と十とを合わせたたるもの、

ともある(大言海)。「若干」は、

若干者、設數之言也。干、猶箇也、若箇、猶言幾何枚也(「春秋演繁露(宋代)」)

と、

若箇(じゃっこ)、

ともいい

数量がそれほど多くなく、はっきりしないこと、
いくつか、いくらか、
いかほど(幾許)、

の意(漢字源)で、まさに、

一の如く十の如し、

ある。「そこばく」は、漢語「若干」の意の通り、

源氏殿上ゆるされて、御前にめして御覧ず。そこばく選ばれたる人々に劣らず(宇津保物語)、

と、

数量などを明らかにしないで、おおよそのところをいう、いくらか。いくつか、

の意でも使うが、上述の例や、

そこばくの捧げ物を木の枝につけて(伊勢物語)、

と、

数量の多いさま、程度のはなはだしいさまを表わす、

意で使い(精選版日本国語大辞典)、漢語「若干」の意をはみ出している。類聚名義抄(11~12世紀)にあるように、

若干・無限・多・多少、そこばく、

と、その意味の幅の広さを示している。

「そこばく」は、

ソコバに副詞語尾クをつけた、

形で、許多(ここだ)くhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/485780752.htmlで触れたように、「そこば」は、

はねかづら今する妹は無かりしをいづれの妹そ幾許(そこば)恋ひたる(万葉集)、

と、

幾許(そこば)、

と当てる。ために、「そこばく」も、

幾許、

とも当てる(精選版日本国語大辞典)。

「そこば」「そこばく」の、

バはイクバク、ココバのバに同じ。量・程度についていう語、

である(岩波古語辞典)が、この、

そこば—そこばく、

は、

ここだ―ここだく、
ここば―ここばく、

の関係に等しい(精選版日本国語大辞典)。平安時代には、

数量の多いさまを表わす語として、「そこら」「ここら」が和文に用いられるのに対して、「そこばく」は「若干」等の訓読語として用いられた。和文では、「ここら」と「そこら」に「こ━そ」の指示領域に関係した使い分けが見られるが、訓読文では「そこばく」が専ら用いられ、多く「そこばくの」という形で連体修飾語となる、

とあり(仝上)。「ここら(幾許)」は、許多(ここだ)くhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/485780752.htmlで触れたように、

こんなに数多く、
こんなに甚だしく、

の意の、

夕影に来(き)鳴くひぐらし幾許(ここだ)くも日ごとに聞けど飽かぬ声かも(万葉集)、

と使う「ここだ」(幾許)が、

秋の夜を長みにかあらむ何ぞ許己波(ココバ)寝(い)の寝(ね)らえぬも独り寝(ぬ)ればか(万葉集)、

と使う「ここば(幾許)」に、さらに、

もみぢばのちりてつもれる我やどにたれをまつむしここらなくらん(古今集)、

と「ここら」へと訛り、

ここだ→ここば→ここら、

と転訛したものだが、

平安時代末から中世にかけては、「ここら」「そこら」の用例数は次第に減るが、「そこばく」は引き続き用いられ、「そくばく」「そこそばく」といった形も生じた、

とある(精選版日本国語大辞典)。

ソ、コは其(そ)、此(こ)にて、ソコ、ココなり、バクはばかり(程度の意、そこはか、いくばく、いかばかり、万葉集「わが背子と二人見ませば幾許(いくばく)かこの降る雪のうれしからまし」「幾許(いかばかり)思ひけめかも」)にて、そこら、ここら程の意(今も五十そこそこの年などと云ふ、是なり)、又そこば、そくばく、そこだく、そこだ、そこらく、そこら、そきだく、などと云ふも、或は下略し、或は音轉相通じ、意は多少変はれども、語原は同じ(伐(こ)る、きる。踵(くびす)、きびす。撃(たた)く、はたく。いくだ、いくら。斑斑(はだら)、離散(はらら))。又、ここばくとも云ふも、其(そ)、此(こ)と云ふを、此(こ)、此(こ)と云ふにて、意は同じ。ここば、ここだく、ここだ、ここら、こきばく、こきだく、こきだ、など云ふも、前に云へると同例なり、

とある(大言海)ように、「其」「此」と「指示領域に関係した使い分け」(精選版日本国語大辞典)からきているとするのは一つの考えだが、

ここだ(く)→ここば(く)→ここら、

と、

そこば(く)、
いくばく、

とは明らかに音韻的なつながりがある。とするなら、

これほどまでの、こんなにもの意のカクバカリの語形が変化したもの、

と(語源を探る=田井信之)、音韻変化から、関係性を見るのもまた一つの見識である。そのもとは、

斯く許りすべなきものか世の中の道(山上憶良)、

の、

これほどまでに、
こんなにも、

の、

斯く許り、

で、許多(ここだ)くhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/485780752.htmlで触れたように、

バカリ(許り)は「程度・範囲」(ほど、くらい、だけ)、および「限度」(のみ、だけ)を表す副詞である。カリ[k(ar)i]の縮約で、バカリはバキに変化し、さらに、バが子交(子音交替)[bd]をとげてダキ・ダケ(丈)に変化した。「それだけ読めればよい」は程度を示し、「君だけが知っている」は限定を示す用法である。
ばかり(許り)は別に「バ」の子交[bd]でダカリ・ダカレになり、「カレ」の子音が転位してダラケ(接尾語)になった。
カクバカリ(斯く許り)という副詞は、カ[ao]・ク[uo]の母交(母音交替)、カリ[k(ar)i]の縮約でココバキ・ココバク(幾許)になり、さらに語頭の「コ」が子交[ks]をとげてソコバク(許多)に転音した。すへて、「たいそう、はなはだ、たくさん」という意の副詞である。「ココバクのしゅうの御琴など、物にかき合わせて仕うまつる中に」(宇津保物語)、「この山にソコバクの神々集まりて」(更級日記)。
ココバク(幾許)が語尾を落としたココバ(幾許)は、「バ」が子交[bd]をとげてココダ(幾許)になり、さらに子交[dr]をとげてココラに転音した。「などここば寝(い)のねらえぬに独りぬればか」(万葉)、「なにぞこの児のここだ愛(かな)しき」(万葉)、「さが尻をかきいでてここらの公人(おおやけびと)に見せて、恥をみせむ」(竹取)。「幾許」に見られるココバ[ba]・ココダ[da]・ココラ[ra]の子音交替は注目すべきである。
ココダク(幾許)は、語尾の子交[ks]、ダの子交[dr]の結果、ソコラクに転音した。「このくしげ開くな、ゆめとそこらくに堅めしことを」。
ココラは語頭の子交[ks]]でソコラに転音した。「そこらの年頃そこらの黄金給ひて」(竹取)。
スコシバカリ(少し許り)は、「シ」の脱落、カリ[k(ar)i]の縮約で、スコバキ・ソコバキ・ソコバク(若干)に転音した。ソコバク(許多)とは同音異義語である。「いくらか、多少」の意味で、「そこばくの捧物を木の枝につけて」(伊勢)という。
イカバカリ(如何許り)は、カリ[k(ar)i]の縮約でイカバキになり、イカバクを経てイクバク(幾許)に転音した。「どれくらい、何ほど」の意の副詞として「わがせこと二人見ませばいくばくかこの降る雪のうれしからまし」(万葉)という。語尾を落としたイクバは、バの子交[bd]でイクダ(幾許)、さらにダの子交[dr]でイクラ(幾ら)になった。すべて万葉集にみえている、

とみる(日本語の語源)のも注目すべきである。

ラは幾らのラ、ココバの平安時代以後の形、

とされ(岩波古語辞典)、

ここだ(く)→ここば(く)→ここら、

という用例の時代変化と多少の齟齬はあるが、

斯く許り→ココバク(幾許)→ソコバク、ココバ(幾許)→ソコバ、ココダク(幾許)→ソコダク、ココダ(幾許)、
少し許り→スコバキ→ソコバキ→ソコバク(若干)、

といった大まかな音韻転訛の流れをみることができる。こう見ると、「其」「此」は、音韻変化の結果そうなったのであって、語源ではないということになるのだが。


(「若」 https://kakijun.jp/page/0896200.htmlより)

「若」(漢音ジャク・ジャ、呉音ニャク・ニャ)は、

象形。手を挙げて祈る巫女を象る物であり、「艸」(草)とは関係ない。髪をとく、体の柔らかい女性を象る(藤明保堂)。手や髪の部分が、草冠のように変形した。後に「口」を添え、「神託」の意を強くした(藤堂)、又は、神器を添えたものとも(白川静)。神託から、「かく」「ごとし」の意が生じる。「わかい」巫女が祈ることから、「わかい」の意を生じたものか。音は、「女」「如」「弱」「茹」等と同系で、「やわらかい」の意を含む、

と、字源説が微妙に違いhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A5、「巫女」由来は同じだが、

象形。しなやかな髪の毛をとく、からだの柔らかい女性の姿を描いたもの。のち、草冠のように変形し、また口印を加えて、若の字になった。しなやか、柔らかく従う、遠まわしに柔らかく指さす、などの意を表す。のち、汝(ジョ)・如(ジョ)とともに「なんじ」「それ」を指す中称の指示詞に当てて用い、助詞や接続詞にも転用された(漢字源)、

象形。もと、髪をふり乱し、両手を前にさし出した巫女(みこ)の形にかたどり、のち、口(お告げ)が加えられた。神託を受けた者、転じて、かみ(神)、「したがう」の意を表し、借りて、助字に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「髪をふりだし我を忘れて神意を聞き取る巫女」の象形から、神意に「したがう」を意味する「若」という漢字が成り立ちました。また、「弱(ジャク)」に通じ(同じ読みを持つ「弱」と同じ意味を持つようになって)、「わかい」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji947.html

と、微妙な解釈の違いがある。


(「若」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A5より)

「干」(カン)は、「野干」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485021299.htmlで触れたように、

象形。二股の棒をえがいたもの。これで人を突く武器にも、身を守る武具にも用いる。また突き進むのはおかすことであり、身を守るのは盾である。干は、幹(太い棒、みき)、竿(カン 竹の棒)、杆(カン てこ)、桿(カン 木の棒)の原字。乾(ほす、かわく)に当てるのは、仮借である、

とある(漢字源)。別に、

象形。二股に分かれた棒で、攻撃にも防御にも用いる。干を持って突き進みおかす。「幹」「竿」「杆」「桿」の原字。「幹」の意から、「十干」や「肝」の意を生じた。「乾」の意は仮借であり、「旱」「旰」は、それを受けた形声文字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B2

象形。先にかざりを付けた盾(たて)の形にかたどる。ひいて、「ふせぐ」「おかす」意を表す(角川新字源)、

などの解釈もある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;六角穴付ボタンボルト(SCM435/黒色酸化皮膜)
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;(96091)プラグ(シリンダ ブロツク)

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2022年04月18日

嬋娟


ただ容色嬋娟(せんけん)の世に勝れたるのみならず、小野小町が弄(もてあそ)びし道を学び(太平記)、

の、

嬋娟、

は、

嬋妍幽艶なる女百人そろへて、紂王に奉つて(仝上)、

と、

嬋妍、

とも表記し、

せんけん、
せんげん、

と訓ませ、

容姿があでやかで美しいこと、
品位があってなまめかしいこと、

といった意味である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、

秋月復嬋娟(阮籍詩)、

とか、

嬋娟美女(宣和書譜)、

とか、

花嬋娟沃春泉、竹嬋娟籠暁烟、雪嬋娟不長娟、月嬋娟眞可憐(孟浩然詩)、

などと使われる漢語である(字源・大言海)。

娟は、於縁切、エンを正とす、今慣用音に従ふ、

とあり(大言海)、

せんけん、

ではなく、

せんえん、

と訓むのが正しい(字源・仝上)ようである。白楽天の詩にも、

嬋娟雨鬢秋蝉翼
宛轉雙我遠山色
笑随戯伴後園中
此時興君未相識(新楽府・井底引銀瓶)、

とある。

その姿を強調し、

嬋娟窈窕(嬋妍窈窕)、

ともいう。「窈窕」の「窈」は、「奥深し」「静香」「うるわし」、「窕」は、「美しい」「奥ゆかしい」「静か「ふかい」といった意味(漢字源)なので、

窈窕淑女、君子好逑(詩経)、

と、

美しく嫋やかなさま、

の意だが、これは、

云有第三郎、窈窕世無雙(古詩)、

と、

男子のしとやかなるさま、

にもいい(字源)、

既窈窕以尋壑(陶淵明)、

と、

山水などの奥深いさま、

にもいう(仝上)。



「嬋」(漢音セン、呉音ゼン)は、

会意兼形声。「女+音符單(タン・ゼン ひとえ、かるくひらひらする)」、

で、身のこなしが軽くやわらかなさまの意である(漢字源)。


(「嬋」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AC%8Bより)

「娟」(ケン・エン)は、

右の旁(ケン・エン)は、まるくくびれた虫のこと。娟はそれを音符として、女を加えた字で、くねくねとして身ごなしの軽い意を表す、

とあり、うつくしい、身軽でスマートなさま、とある(漢字源)。こうみると、「嬋娟」は、身のこなしの軽さを言い表しているだけだが、

「嬋娟」は、軽やかに身をくねらせるあでやかな女性、転じて、詩では、花・月などの美しさを形容するのに用いる、

とある(仝上)。



「妍」(慣用ケン、漢音・呉音ゲン)は、

会意兼形声。幵(ケン)は、干印を二つ並べて、揃って整ったことを示す。妍は「女+音符幵」で、女性の容姿の磨きのかかった美しさを意味する、

とある(仝上)。



参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;(SZ301)O-RING
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;異径ソケット(ステンレス)

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2022年04月17日

野軍


敵頻りに懸からば、難所に引き入れては返し合はせ、引つ返さば、跡に付いて追つ懸け、野軍(のいくさ)に敵を老(つか)らかひて、雌雄を決すべし(太平記)、

にある、

野軍(のいくさ)、

は、

ゲリラ戦、

と注記がある(兵藤裕己校注『太平記』)。ふつう、「のいくさ」は、

野戦、

と当て、

平野でする戦い、

つまり、漢語の、

我為趙将、有攻城野戦之大功(史記・藺相如伝)、

とある、

攻城、

と対比する、

野戦(やせん)、

の意味で使う(広辞苑)が、ここでは、その前のくだりに、

敵に在所を知られず、前にあるかとせば、後へ抜け、馬に乗るかとすれば、野臥(のぶし)になって、在々所々にて戦はんに、敵頻りに懸らば(太平記)、

とあり、その戦い方は、まさに「ゲリラ戦」である。「野臥」は、

野伏、
野武士、

とも当て、

のぶせり、

とも訓ませるように、文字通り、

野に臥す、
野に伏す、

で、

鎌倉末期から南北朝期に、畿内およびその周辺に起こり、全国的に広がった農民の武装集団をいう。一定の主人を持たず、山野に潜伏し、敗軍の将兵の武具、甲冑、馬などを略奪したり、形勢をうかがって優勢の軍について戦闘に参加したりした。また、戦国時代に、大名が領内の農民を徴発し武装させて徒歩兵力として戦闘に参加させたものもいう、

とある(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)。つまりこの、

野軍、

は、

野伏(のぶし)いくさ、

の意になる。これは、後には、

伏勢(ふせぜい)、
伏兵(ふくへい)、

とも呼ばれるもので、

草、
草調儀、
かまり、
透波、

などと呼ばれる「忍び」活動につながる。「忍び」http://ppnetwork.seesaa.net/article/416745079.html、平山優『戦国の忍び』http://ppnetwork.seesaa.net/article/484006742.htmlで、「忍び」については触れたし、「忍び」の戦いについては盛本昌広『境界争いと戦国諜報戦』http://ppnetwork.seesaa.net/article/396352544.htmlで触れた。

いわゆる「野戦(やせん)」の意味では、

今度(このたび)は、諸方の敵、諜(ちょう)し合はせて大勢にて寄せなば、平場の合戦ばかりにては叶ふまじ(太平記)、

と、

平場合戦、

を使っている(兵藤裕己校注『太平記』)。このほか、

平場蒐合(かかりあい)、
野相合戦、
野合戦、

という言い方をする(武家戦陣資料事典)。

野軍、

をあえて使ったのは、これとの区別のためと思われる。

ちなみに、「いくさ」http://ppnetwork.seesaa.net/article/460494548.htmlで触れたように、「いくさ」は、

戦、
軍、
兵、

と当て、

イ(射)+クサ(人々)(日本語源広辞典)、

と、「射る」と関わらせる説が多いが、大言海は、

射、
軍、

を別項を立て、「いくさ(射)」は、

イクは、射(いく)ふの語幹。、サは、箭(さ)なり。…箭を射ふ、即ち、射箭(イクヒサ)なり(贖物(あがひもの)、あがもの、馳使部(はせつかひべ)、はせつかべ)。賀茂真淵云ふ「伊久佐は、射合箭(イクハシサ)と云ふことなり」、

とし、「箭(さ)」は、

刺すの語根にもあるべきか、…或は征箭(そま)の約かとも云ふ、いかが。朝鮮語に、矢を、サルと云ふとぞ、箭(や)の古語(仝上)、
矢(や)の古語。朝鮮語salの末尾の子音を落した形(岩波古語辞典)、

とあるので、

矢を射る、

動作を示し、「いくさ(軍)」は、

いくさびと、

とする。どうも、「いくさ」は、はじめ、

矢を射る、

意味であったものと思われる。

イクはイクタチ(生大刀)・イクタマ(生魂)・イクヒ(生日)などのイクに同じ。力の盛んなことをたたえる語。サはサチ(矢)と同根。矢の意。はじめ、武器としての力のある強い矢の意。転じて、その矢を射ること、射る人(兵卒・軍勢)、さらに「軍立ち」などの用例を通じて矢を射交わす戦いの意に展開、

とあり(岩波古語辞典)、

矢を射る(人)→矢を射交わす→戦い、

とシフトしたと思えるが、大言海は、「いくさびと」を、

射人(いくさびと)の義、射(いくさ)、即ち、弓射る人の義。戦争の武器は、弓矢を主としたりき、後世、弓矢取、又弓取などと云ふも、是なり、

とし、「いくさだち」(軍立)も、

射立(いくさだち)の義。タチは役立(えだち)の立に同じ。射(いくさ)、弓矢の役に立つ義なり、イクサとのみ云ふは、下略なり。…イクサと云ひて、戦争の意とするは後世の事にて、古くは見えず、上代にイクサと云ひしは軍人(イクサビト)のことなり。…然るに軍人の義なる語は、夙(はや)くに滅亡して、戦争(いくさ)の意、其称を専らとするに至れり、

と、

イクサビト(軍人)→イクサ(戦)、

と転じたとする。いずれにしても、「矢を射る」ことが戦いのメタファとなり、戦いそのものの意味となったと思える。「いくさ」が、

戦争・戦闘の意で用いられるのは、中世以降、特に、『平家物語』『保元物語』など軍記物語にはこの意でもちいられている、

とある(日本語源大辞典)。



「野(埜)」(漢音呉音ヤ、漢音ショ、呉音ジョ)は、

会意兼形声。予(ヨ)は、□印の物を横に引きずらしたさまを示し、のびる意を含む。野は「里+音符予」で、横にのびた広い田畑、野原のこと、

とある(漢字源)。ただ、

会意形声。「里」+音符「予」(だんだん広がるの意を有する)https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8E

と、

形声。里と、音符予(ヨ)→(ヤ)とから成る。郊外の村里、のはらの意を表す(角川新字源)、

とを合わせてやっとわかる解説のように思える。別に、「野」と「埜」を区別し、「野」は、

会意兼形声文字です(里+予)。「区画された耕地の象形と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(耕地・土地の神を祭る為の場所のある「里」の意味)と機織りの横糸を自由に走らせ通す道具の象形(「のびやか」の意味)から広くてのびやか里を意味し、そこから、「郊外」、「の」を意味する「野」という漢字が成り立ちました、

とし、「埜」は、

会意文字です(林+土)。「大地を覆う木」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(「土」の意味)から「の」を意味する「埜」という漢字が成り立ちました、

と解釈するものがあるhttps://okjiten.jp/kanji115.html



「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、「六軍」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486344877.html?1649359041で触れたように、

会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、

とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。

「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D。別に、

会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji660.html

参考文献;
笹間良彦『武家戦陣資料事典』(第一書房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;(+)皿小ねじ(鉄/クロメート)(小箱)
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;スチールローラコンベヤ

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2022年04月16日

ただむき


われに勝(まさ)りたる忠の者あらじと、臂(ただむき)を振るふ輩(ともがら)多き中に(太平記)、

と、

臂(ただむき)を振るふ、

とあるのは、

腕を揮う、

の、

手腕を発揮する、

とちょっと重なる、

威勢をふるう、

という意味になり(兵藤裕己校注『太平記』)、「ただむき」は、和名類聚抄(平安中期)に、

腕、太々無岐(ただむき)、一云宇天(うで)、

とあるように、

腕、

とも当てる(広辞苑・岩波古語辞典)、

肘から手首までの間、

を指し、

肩から肘までの、

かいな、

に対する(日本語源大辞典)。「かいな」は、また、

二の腕、

ともいう。「二の腕」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.htmlで触れたように、

一の腕、

を、

手首から肘まで、

つまり、

ただむき、

を言ったのに対して、「二の腕」といったものらしい(日本語源広辞典)。

ひじで折れ曲がるので、これを2部に分け、上半を上腕upper arm、下半を前腕forearmといい、上腕は俗に〈二の腕〉といわれる。腕は脚に相当する部分であるが、人間では脚より小さく、運動の自由度は大きい、

とある(世界大百科事典)ので、手首側から、一の腕、二の腕と数えたということだろう。

「腕」(ワン)の字は、

中国では主に手首のつけね。まるく曲がるところなので、ワンという、

とあり(漢字源)、

てくび、
臂の下端、掌の付け根の所、

を指し(字源)、

腕骨(わんこつ)、

は、「手首の骨」をさす(仝上)。

腕は、(日本)釈名に「腕宛也、言可、宛曲なり」、急就篇注に、「腕、手臂之節也」とありて、今云ふ、ウデクビなり、されば、ウデは、元来、折手(ヲデ)の転(現(うつつ)、うつ、叫喚(うめ)く、をめく)。折れ揺く意にて(腕(たぶさ)も手節(たぶし)なり)、ウデクビなるが、臂(ただむき)と混じたるなるべし、

とある(大言海)ように、

「てくび」を「ただむき」と混同、

つまり、

肘、

と混同したため位置が動き、本来、「うで」は、

肘と手首の間、

を指し、「かいな」は、

肩から肘までの間、

であったが、

後に「うで」と混用、

され(岩波古語辞典)、一の腕、二の腕を含めて、

腕、

と呼び、肘から上を、

上腕、

肘から下を、

前腕、

と称するようになったとみられる(日本語源大辞典)。こうした、

肩から手首、

を「腕」とするのは、わが国独自の用法になる(漢字源)。この用法が、「腕」に、

腕前、
腕の見せ所、

のような、

物事をする能力、技量、

の意で使う意味の範囲へ広げたのではないか。「腕」の語源を見ると、

ウテ(上手)の義(類聚名物考・和訓栞・国語の語幹とその分類=大島正健)、
ウテ(打手)の義(日本釈名・和句解)、
ヲテ(小手)の転(言元梯)、
ヲデ(折手)の転(名語記・大言海)、
「腕」の別音WutがWuteと転じた(日本語原学=与謝野寛)、

と、位置がばらばら、「腕」が今日、

肘と手首の間、
肩口から手首まで、

と、多義的に使われている訳であるhttp://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.html

ところで、「ただむき」は、

手手向(タタムキ)の義、両掌に合はすれば、両臂相向ふ、股(もも)を向股(むかもも)と云ふが如し。説文(中国最古(後漢・許慎)の字書『説文解字』)「臂、手上也。肱(かひな)、臂上也、肘(ひじ)臂節也」、(日本)釈名「腕、宛也」、宛は屈すべきものにて、ウデクビなれど、通ずるなるべし、

とあり(大言海)、

左右が向かい合っているところからタタムキ(手手向)の義(柴門和語類集・日本語源=賀茂百樹)、
テテムカヒ(手手向)の義(名言通)、
手向の義(和訓栞)、

なども同趣のようである。

「かいな」は、「二の腕」http://ppnetwork.seesaa.net/article/453113046.htmlで触れたように、

腕、
肱、

とあて、

抱(かか)への根(ね)の約転か。胛をカイガネと云ふも舁(かき)が根の音便なるべし。説文「臂(ただむき)、手ノ上也。肱(かひな)、臂ノ上也」(大言海)、
カイ(支ひ)+ナ(もの)(日本語源広辞典)、
カヒネ(胛)の転(言元梯)、
カヒは抱き上げるという意のカカフルのカを一つ省いたカフルの変化したもの(国語の語幹とその分類=大島正健)、
女の臂のカヨワイことから(俗語考)、
カヒナギ(腕木)の意(雅言考・俗語考)、
カタヒジナカ(肩肘中)の略(柴門和語類集)、
カキナギ(掻長)の義(名言通)、

等々諸説あるが、「抱える」と関わることが、いちばん説得力があるような気がする。

ちなみに、「小手(こて)」は、

手首、
あるいは、
肘と手首の間、

を指すが、

手の腕頸より先。小手先。「小手返し」「小手調べ」「小手投げ」。これに対して、腕・肱を、高手(たかて)と云ふ。人を、高手小手(たかてこて)に縛ると云ふは、後ろ手にして、高手、小手、頸に、縄をかけて、縛りあぐるなり、

とあり(大言海)、いわゆる鎧や防具にいう、

籠手、

は、この「小手」から来ていて、

肘、臂の全体をおおうもの、

であり、「腕頸」とは、

手首、

の意で、

たぶし、
たぶさ(手房)、
こうで(小腕)、

ともいい、

腕と肘との関節、曲り揺く所、

とある(仝上)が、これもけっこう曖昧で、

手首をさす語として、上代より、タブサという語が使用されていたが、語義が不安定であったため、中世より、ウデクビが使われだした。その後、一四、五世紀あたりに、テクビという語が成立し、中世後期からは、テクビの方が優勢となる、

とあり、

たぶさ→うでうび→てくび、

と転化したようだ(精選版日本国語大辞典)。


(「臂」 https://kakijun.jp/page/E45D200.htmlより)

「臂」(ヒ)は、

会意兼形声。「肉+音符辟(ヘキ 平らに開く)」で、腕の外側の平らな部分。足の外股を髀(ヒ)という。ともに胴体の外壁に当たり、うすく平らに肉が付着しているからこのようにいう、

とあり(漢字源)、

肩から手首にいたる腕全体の部分、人体の外側の壁に当たる部分、

とあり、幅が広く、日本語で「うで」という部分に重なる。「ひじ」の意があるが、「肘」と区別する場合は、腕の上腕を指す、とある(仝上)。説文解字に、

臂、手上也。肱(かひな)、臂上也、肘(ひじ)臂節也、

とある(大言海)のは、その意味だと思うが、「ひじ」と訓ませる、「肱」(コウ)は、

会意兼形声。∠は、∠型にひじを張り出したさま、右側は、「手のカタチ+∠」の会意文字でひじのこと。肱はそれを音符として、肉を添えた字、

とあり(仝上)、

曲肱枕之(肱を曲げてこれを枕とす)、

と(論語)、

外に向けて∠型にはりだしたひじ、

の意である。「肱」を「かいな」に当てているのは、漢字の意味からは外れている。これも「ひじ」と訓ませる「肘」(チュウ)は、

会意文字。肘は「肉+寸(手)」・もと丑(チュウ)がうでを曲げたさまを示す字であったが、十二支に転用され、たため「肉+丑」(ひじ)の字が作られた。肘はそれと同じ、

とあり(仝上)、まさに、

うでの中ほどの部分、曲げて張り出したり、曲げて物を抱え込んだりする部分(仝上)、
腕の関節(字源)、

で、

ひじ、

の意になる(漢字源)



「腕」(ワン)は、

会意兼形声。宛(エン)の字は、宀(屋根)の下に、二人の人がまるくかがむさま。腕は「肉+音符宛」で、まるく曲がる手首、

とある(漢字源)が、別に、

形声。肉と、音符宛(ヱン)→(ワン)とから成る。手を曲げて動かす部分、「うで」の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意形声。「肉」+音符「宛」、「宛」は「宀」(屋内)で、「夗」(体を丸め集う)の意。「丸い、曲がった」の意があり、「椀・椀(丸い器)」等が同系。手首など、四肢の曲がる部位、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%85%95

会意兼形声文字です(月(肉)+宛)。「切った肉」の象形と「屋根・家屋の象形と月の半ば見える象形とひざまずく人の象形」(屋内で身をくつろぎ曲げ休む事から「曲げる」の意味)から、自由に曲げる事の肉体の部分、「うで」を意味する「腕」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji288.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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2022年04月15日

はためく


雷光行く先にひらめいて、雷(いかずち)上に鳴り霆(はた)めく(太平記)、

の、

鳴り霆めく、

は、

鳴りとどろく、

意である(兵藤裕己校注『太平記』)。

「はためく」に、

霆、

を当てる例は少ないが、「霆」には、

いなずま、
いなびかり、
とどろく、

の意があるし、

鳴動、

と当てる(大言海)場合もあるので、外れているわけではない。


(「霆」 https://kakijun.jp/page/E8BB200.htmlより)

「霆」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。「雨+音符廷(まっすぐのびる、よこにのび)」とあり、挺(テイ まっすぐのびる)と同系、

とある(漢字源)。「いなずま」の意である。「廷」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。右側の字(テイ)は、人がまっすぐ立つ姿を描き、その伸びたすねの所を一印で示した指事文字(形で表すことが難しい物事を点画の組み合わせによって表して作られた文字)。壬(ジン)とは別字。廴(のばす)を加えた字で、まっすぐな平面が広く伸びた庭、

とある(仝上)。

形声。廴と、音符𡈼(テイ 壬は誤り変わった形)とから成る。宮廷の中庭の意を表す。「庭(テイ)」の原字、

とある(角川新字源)のも、

会意形声。「廴」+音符「𡈼」。「𡈼」はすねを指し示した会意文字で、「廴」とあわせ、長く伸ばすの意を表す、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%B7のも同趣旨だが、

会意兼形声文字です。「庭」の象形と「階段」の象形から、階段の前に突き出た庭を意味し、そこから、「広庭(政事を行う所(朝廷))、訴えを聞き裁判する所(法廷)」を意味する「廷」という漢字が成り立ちました、

とする解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji2206.html

「はためく」は、

(太刀を)打ち合わする音のはためく事(義経記)、
にはかに雷のはためく音して(北条五代記)、

などと、

鳴り響く、
はげしく響き渡る、

意で使うように、

はた、

は、

擬音語(広辞苑・岩波古語辞典)、
音を名とする(大言海)、

と、擬音語由来と見られ、同義の言葉に、

水無月の照りはたたくにも、さはらずきたり(竹取物語)、

と、

はたたく、

という言葉があり、

並外れて激しい音をたてて雷などが鳴る、

意で、

ハタタはハタメクのハタを重ねた語(岩波古語辞典)、

とあるが、

音のハタハタの活用(大言海)、

なのではあるまいか。ただ、

はたはた、

は、今日の語感では、

ごく軽いものが板戸などに連続して当たる静かな音、



薄い物や張った紐などが風をはらんであおられるように動く音、

の意で使い(擬音語・擬態語辞典)、どちらかというと、

儺(な)といふ物こころみるを、まだ昼より、こほこほはたはたとするぞ(蜻蛉日記)、

と、

板戸などをつづけて打ち叩く音、

や、

手をおびただしくはたはたと打つなる(大鏡)、

と、

手を叩く意で使うのが近い。しかし、かつては、

雷がはたはたと鳴り来たれば(周易抄)、

と、

特に、雷が激しくとどろく音、

に使い、

雷も霹靂神にはならず、いかにも静かにどろどろと鳴り(三体詩抄)、

と、

はげしくとどろく雷、

を、特に、

霹靂神(はたはたがみ)、

といい、

はたたがみ、

とも呼んだらしい(岩波古語辞典)。面白いことに、「はたはた」は、

特に、雷が激しくとどろく音、

のみ雷に用い、後は、上記で、

こほこほはたはた(蜻蛉日記)、

と続けたように、静かな叩く音を指す。これのメタファなのか、

とこのまへをきくに、踊騒(ハタメク)こゑあり(観智院本三宝絵)、

に、

揺れ動くように鳴り響く、とどろく、

意でも使う(精選版日本国語大辞典)。「はたはた」は、少し強めて、

ばたばた、

と、少し輕く高い音で、

ぱたぱた、

と、微妙に擬音を使い分けてバリエーションがあるが、こうした「はたはた」の語感のため、「はためく」も、

舌や炎のやうにはためき合ひたり(今昔物語)、

と、

炎や火花が盛んにあがる、炎が勢いよく燃え動く、

と、

ばたばた、

に近い語感(広辞苑)や、

春風にばためく様(洒落本・温海土産)、

のように、濁らせたて、

布や紙などが風に吹かれてはたはたと音をたてて翻る、

と使ったりするが、こうなると、

羽ばたく、

意や、

旗などがはためく、

意と重なってくる。

ちなみに、「ひるがえる(翻る)」「はためく」「ひらめく(閃く)」の違いを、

「ひるがえる」は、

紙や布状のものが風を受けて、空中にある程度広がって位置を占め、動く意。主体が空中にある程度広がって見えている点に重点があり、動きにはさほど重点はない、

「はためく」は、

布や紙が風に吹かれてばたばたと音を立てていることにいう。なお、古くは、炎が勢いよく燃えるとか、雷などが鳴り響くとか、鳥が羽ばたくといった意でも用いた、

「ひらめく」は、

布や紙が風に吹かれてひらひら動く意、

と整理しているものがある(小学館・類語例解辞典)。類義語と比較すると「はためく」の意味が際立つことはある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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書評;(49200)ラックピニオン PS付

ラベル:はためく
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2022年04月14日

対峙する力


長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』、
竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』、
竹田青嗣・西研『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』、
加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』、

を読み比べてみた。



正直、僕のような哲学の素人が言うのもおこがましいが、手に入るかぎりの『精神現象学』の「入門」書を読み比べて思ったことは、まるで江戸時代の儒学者が『論語』を読み解こうとしていた姿勢にそっくりの、何だろう、偉大なるヘーゲルの『精神現象学』をどう読みこなすか、しかもどう正確に読解しようとするかに懸命で、それに真正面から、思想として対峙しようとする姿勢がまるきり感じられなかった。それって正しい姿勢なのだろうか、という疑問が湧いた。せめても、長谷川氏が、

「ヘーゲルの作品として『精神現象学』しかなかったとしたら、といった妄想がふと脳裡をかすめる。『精神現象学』は、この一冊だけで十分魅力的な書物だとはやはりいえない気がする。大胆で荒々しい、原鉱のような思考は、同時代の無視・無理解に出会ったあと、後代の注目も理解も得られず、歴史に埋もれてしまった公算が大きい。思考の奇怪さは奇怪さのままでは容易に受け入れがたいものだと思う。」(『ヘーゲル「精神現象学」入門』「思考の奇怪さについて」)

とあるのが、まず真っ当な評価なのではないか。流石『精神現象学』の新訳で世評が高いだけのことはある。他の翻訳が悪文の原著に忠実たらんとしてか、日本語としては何を書いてあるか何度も読み直さないといけない、何度読み直しても日本語として理解しがたい拙劣な文章であったのに比べて、少なくとも、理解云々はこちらの知性の問題だが、少なくとも何が書いてあるかはすっと頭に入ってくる翻訳であった。ただ、しかし原文に忠実でない分、文意は通じるが、前後の脈絡が見えなくなるという難点が、時々起こる。これは文脈ごとに「ことば」を変えるためかと思われる。

「バベルの塔」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486413116.html?1649791537で触れたことと重なるが、『精神現象学』は、一応、

意識の成長の旅、

であり、

意識(感覚的確信→知覚→悟性)→自己意識→理性→精神(精神→宗教→絶対知)、

といった、

意識の経験の道程、

さらに、ヘッケルの、

個体発生は系統発生を反復する、

ではないが、

個人としての成長史、

だけではなく、

人類文化の精神史、

の側面があり、

西洋史、
キリスト教史、
西洋哲学史、

を直接、あるいはメタファとして、またはアナロジーとして駆使し、

精神の在庫調べ、

の趣があり(加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』「序にかえて」)、その知識がないとさらに、論旨が辿りにくいが、そもそも、その背景に、アレゴリカルに取り上げられている、

アンチゴネー、
オイディプス王、
ファウスト、
夜盗、
ドン・キホーテ、
ラモーの甥、

等々は、文脈上、例示として適切なのか。僕のような哲学史や西洋史、キリスト教史等々の門外漢が言ってもナンセンなことは承知の上で言うなら、ヘーゲルの書いている歴史の取り上げ方は、時にマンガチックにすら感じてしまったし、ご都合主義に思える部分も多々あるのだが、それはもちろんメルロ=ポンティのいうような、

小説みたいにおもしろい、

等々と軽々には言えないが、時にマンガチックとしか言いようのない歴史観があり、とてもその時代から見てもおかしな科学観があるのに、

わくわくするような面白さがある、

等々とはとても言えるものではない(仝上)。さらにこの『精神現象学』全体の、まるで、

救済史、

をなぞるような、

絶対知、

を目的とする、

歴史主義的な構造そのもの、

は問題ではないのか(救済史については、『世界と世界史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/478347758.htmlで触れた)。そう見ると、『精神現象学』を読解し、後のヘーゲルの著作から意味を読もうとする入門書群と比べると、入門書という位置だから仕方がないのは承知の上でいえば、

「ヘーゲルの精神は、論理的な、確固とした、あえて言うならば、昆虫学的精神である。すなわち、多くの突出した肢と深い切れ目と節をもった身体のうちにのみ、そのふさわしい精神の場所を見いだす精神である(差異にこだわるといいたいらしい)。この精神は、とくにかれの歴史の見方と取り扱いのうちにあらわれている。ヘーゲルは、さまざまな宗教・哲学・時代・民族のもっとも突出した差異だけを、しかも上昇する階段的進行においてのみ、固定し、叙述し、共通なもの、等しいもの、同一なものはすっかり背景に退く。かれの見方と方法そのものの形式は排他的な時間だけで、同時にまた寛容な空間ではない。かれの体系は従属と継起を知るだけで、並列と共存についてはなにも知らない。なるほど、最後の発展段階は、いつも、その他の諸段階を自己のうちに取り入れている全体ではあるが、しかし、この最後の段階そのものが一定の時間的存在であり、そのために特殊性の性格をもっているから、それがその他の諸存在を取り入れることは、これからその独立した生命の精髄を吸い出し、これらがその完全な自由の状態においてのみもっている意味を奪わなければ、不可能である。」(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」)

とか、あるいは、

「ヘーゲルの『現象学』とその究極的成果とにおいて――運動し算出する原理としての否定性の弁証法において――偉大なるものは、ヘーゲルが人間の自己産出を一つの過程として捉え、対象化することを、対立するものとすること、つまり外在化することとして、そしてこの外在化の止揚として捉えているということ、こうして彼が労働の本質を捉え、対象的な人間すなわち現実的であるゆえに真なる人間を、人間自身の労働の成果として把握しているということに他ならない。(中略)近代国民経済の立場にたっている……ヘーゲルは、労働を人間の本質として捉える。彼は労働の肯定的な側面を見るだけで、その否定的な側面を見ないのである。労働は、人間が外在化の内部で、つまり外在化された人間として、対自化することである。ヘーゲルはそれだけを知り承認している労働というものは、抽象的に精神的な労働である。こうして一般に哲学の本質をなしているもの、自己を知る人間の外在化、あるいは自己を思惟する外在化された学問、これらをヘーゲルは労働の本質として捉えている。だから彼は、過去の哲学に対してその個々の契機を総括し、自分の哲学を本当の哲学として述べることができるのである。」(マルクス「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」)

など、少なくとも、こう読解した等々と言うことはどうでもいいことで、あるいはどの読解が正しいか、などということは、誰も問題になどしていなくて、それとどう対峙し、どう克服して、その上で、自分は何を論じていくかが問題になっているはずである。





少なくとも、ヘーゲルの影響を受け、それを克服すべく葛藤したフォイエルバッハやマルクスよりも更に後世のわれわれが、いまさらただ『精神現象学』を読解するなどに、意味があるのかどうか、読解はプロセスであって、その後に何をするかが問われているのではないか。自分のような老書生が言うのは噴飯物かもしれないが、読解が正確かどうか、正しいかどうかなどどうでもよく、間違っていようと、どうであろうと、それと対峙してその先に、自らの思想的世界を描かなくては意味がない。ヘーゲル死後(亡くなったのは天保二年(1831)である)何年たっているというのか、今頃読解本が流行っているようでは……明治時代の欧化のはじまりではあるまいし、その先へ、それと対峙した先へ行くべきなのではないか。





僕の散漫な理解力のせいかもしれないが、この『精神現象学』全体は、ヘーゲルの、

思考実験、

ではないか、という印象である。それに似たことを、たとえば、

「思えば、『精神現象学』は、既成の枠組を破って奇怪な動きをする思考の否定力と、それに一定の筋道をつけて書物としてまとまったものにする構成力との、せめぎあいの場であった。書きすすむことが、さながら弁証法の実践だったかに思える。」(長谷川・前掲書)、

とか、あるいは、

「ヘーゲルが、ここで……なしとげた積極的なものは、事前と精神とに対して独立している限定された諸概念、普遍的な固定した思惟諸形式が、人間存在の一般的疎外の、したがってまた人間の思惟の、必然的な成果であるということ、またそれゆえヘーゲルがそれらを抽象過程の諸契機として叙述し総括したということである。例えば、止揚された存在は本質であり、止揚された本質は概念であり、止揚された概念は……絶対的理念である。」(マルクス・前掲書)

とあるように、三十代のヘーゲルの知的チャレンジだと考えれば、難渋で、理解不能な文章も、脈絡のつかない論理の筋も、なんとなく納得できる気がしてしまう。マルクスのいっている、

「ヘーゲルは人間を自己意識と等置しているのであるから―—意識以外の何ものでもなく、ただ疎外という思想に過ぎず、疎外の抽象的な、それゆえ無内容で非現実的な表現、つまり否定にすぎない。したがって、外化の止揚ということもまた、あの無内容な抽象の無内容な止揚、つまり否定の否定にほかならない。」(マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」)

の、

ただ疎外という思想に過ぎず、

というのは、そういう意味ではないかと思ってしまう。



さて、読み比べた結果、思想的な俯瞰度からみるなら、

長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』>加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』>竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』(『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』はこの簡略版になる)、

というところか。やはり、僕は、長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』が一馬身以上離していると思う。読解度でみるなら、

加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』>竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』>長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』

となる。細部の詳述となると、竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』の方が詳細なのだが、個人的には、詳細にヘーゲルの論旨をなぞればなぞるほど、その筋のマンガチックさが際立ってきて、逆効果だった気がしている。

参考文献;
長谷川宏『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社選書メチエ)
竹田青嗣・西研『超解読! はじめてのヘーゲル「精神現象学」』(講談社現代新書)
加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社学術文庫)
竹田青嗣・西研『完全解読ヘーゲル「精神現象学」』((講談社選書メチエ)
フォイエルバッハ(松村一人・和田楽訳)「ヘーゲル哲学の批判」(『将来の哲学の根本問題』)(岩波文庫)
マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」(マルエン選集1『ヘーゲル批判』)(新潮社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年04月13日

バベルの塔


G・W・F・ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学』を読む。



「ああいうもの(哲学を指す)を理解するためには語学力とか頭のよさということだけではどうにもならない『何ものか』を必要とするので、二十歳やそこらで読みこなせたらどうかしているのです。(中略)個別科学の知識もなくて哲学が分かるはずがありません」(丸山眞男「勉学についての二、三の助言」)

という誡めにもかかわらず、若い頃、無謀にも、

樫山欽四郎訳の『精神現象学』、

を、それこそ一字一句、文字通りノートに書き写すようにして読んだ記憶がある。その跡は、手元に残る本の、版面外の空白の書き込みに残っている。全体として、意識から精神への螺旋を描くような成長プロセスというイメージ以外、本当に難渋極まる訳文に悪戦苦闘したことくらいしか痕跡を残していないので、二度と読むまいとは思っていたのだが、何のきっかけだか、不意に頁を開き、そのまま、樫山訳を読み出してしまった。しかし、いわゆる読書という行為とはなじまない、人を寄せ付けない文章に辟易して、どうせならと、Kindle版の、

熊野純彦訳の『精神現象学』、

を、併読する形で読み通して見た。それでも、意味不明なのは、ヘーゲル自身が、「まえがき」で、

「(哲学の著作を)理解するだけの素養が当人に備わっていない場合は論外」(長谷川訳『精神現象学』・まえがき)、

と指摘した「論外者」に該当するのだから、仕方がないだろう。で、新訳で評判の、

長谷川宏訳の『精神現象学』、

で再度読み直してみた。他の翻訳が悪文の原著に忠実たらんとしてか、日本語としては何を書いてあるか何度も読み直さないといけない、いや何度読み直しても日本語としての文意すら理解しがたい拙劣な文章であったのに比べて、理解云々はこちらの知性の問題だが、少なくとも何が書いてあるかはすっと頭に入ってくる翻訳であった。ただ、しかし原文に忠実でない分、文意は通じるが、前後の脈絡が見えなくなるという難点が、時々起こる。これは文脈ごとに「ことば」を変えるためかと思われる。たとえば、実体という言葉を、

「文意に応じて、『実体』『本体』『神』『共同体』『秩序』『時代精神』『本領』『土台』『地球』『自然』など、多種多様な訳語を当てた」(長谷川 あとがき)、

というように、文意は通じるが、他との脈絡が取りにくくなったのではないか、と勝手に憶測している。

しかし、そうまでしても、読み終わった後の、徒労感は、凄まじい。何だろう、この巨大な自己完結した虚像は、僕には空しいバベルの塔に見える。

哲学だから、

とは思えない。虚像感が残る。そんなに多く読んだとはいえないが、他の哲学書などでは感じたことのない、読後の空しさなのだ。ただの難解さとは違う。これは何処からくるのだろう。ぼくのような浅学菲才な輩が言うのも口幅ったいが、結局積み上げられている壮大な世界が、空しい「虚像」だからなのではないか、という気がしてならない。





本書は、

意識の経験の学、

と名づけられているように、

意識(感覚的確信→知覚→悟性)→自己意識→理性→精神(精神→宗教→絶対知)、

と、意識の成長プロセスを辿っていく。

「最初に、すなわち、直接的に我々の対象となる知は、それ自身直接的な知、直接的なものまたは存在するものの知にほかならない。われわれもやはり直接的な、つまり受けいれる態度をとるべきであって、現われてくる知を少しも変えてはならないし、把握から概念把握を引き離しておかなくてはならない。」(樫山訳『精神現象学』)

の「感覚的確信」からはじまり、

「精神のこの最後の形態は絶対知である。それは、自らの完全で真なる内容に、同時に自己という形式を与え、このことによって、その概念を実現すると共に、かく実現することにおいて、自己の概念のうちに止まる精神である。これは精神の形態において自らを知る精神である。言いかえれば、概念把握する知である。真理は、自体的に確信と完全に等しいだけでなく、自己自身の確信であるという形態をももっている。言いかえれば、真理は定在となっている、すなわち、知る精神にとって、自己自身の知であるという形式をとっている。(中略)すなわち精神は、意識にとって定在の場に、対象性の形式に、本質そのものであるところのものに、すなわち概念に、なったのである。この定在の場において意識に現われる精神、或はこの場合同じことであるが、意識によってこの場に生み出された精神、これが学である。」(樫山訳仝上)

と、「絶対知」へと至るのである。

このプロセスは、カント『純粋理性批判』漏電遮断器 Eシリーズ (経済タイプ) OC付で、知覚したものを、

表象、

と言い、これを現実ではなく、

現象、

と言って、

「つまり我々が認識し得るのは、物自体としての対象ではなくて、感性的直観の対象としての物――換言すれば、現象としての物だけである」(カント(篠田英雄訳)『純粋理性批判』)

から、人の認識プロセスの、

感性→悟性→理性、

の奥行きを徹底的に点検していった、その延長線上に『精神現象学』はある、と見える。(現象としての物と物自体を区別していないヘーゲルは)カントのそれが「表象」に過ぎない、と散々に批判しているが、全体の構造そのものは、僕には同じように見えた。ヘーゲルが、

「実在はそれ自体で存在するものではなく、認識のうちにどうあらわれるかが問題となる。」(ヘーゲル『哲学史講義』)、

と言っているように、所詮、人の認知システムの内部構造を語っているだけなのであり、現実を認知した意識の成長プロセスという、現実を疎外した意識形態そのものを描いているのだから、

「絶対的なものは単純なものではなく、最初の普遍者のこのような自己否定によって生まれる諸契機の体系である。この諸概念の体系もまたそれ自身抽象的なものであって、たんなる概念的な(観念的な)存在の否定、実在性、(自然における)諸区別の独立的実在へと進んでいく。しかしこれもまた同様に一面的であって、全体ではなく一契機にすぎない。このようにして独立的に存在する実在もふたたび自己を止揚して、自己意識、思考する精神のうちで概念の普遍性へ復帰する。思考する精神は、そのうちに概念的存在と観念的存在とを包括して、それらを普遍と特殊のより高い観念的統一としている。このような概念の内在的な自己運動」

なのである(A・シュヴェークラー『西洋哲学史』)。だから、

「ヘーゲルは人間を自己意識と等置しているのであるから―—意識以外の何ものでもなく、ただ疎外という思想に過ぎず、疎外の抽象的な、それゆえ無内容で非現実的な表現、つまり否定にすぎない。したがって、外化の止揚ということもまた、あの無内容な抽象の無内容な止揚、つまり否定の否定にほかならない。それゆえ、内容豊かな、生き生きとした、感覚的な、具体的な自己対象化の活動は自己対象化のたんなる抽象、つまり絶対的否定性となる。すなわち、さらにまた抽象として固定されて、独立的な活動、活動そのものと考えられるような抽象となるのである。」(マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」)

との指摘は、当たっているのである。あくまで意識にどう取り込まれていくかを描いているのだから、

「自分の外部にその自然をもたない存在は、けっして自然的存在ではなく、自然の存在に関与しない。自分の外部にいかなる対象をももたない存在は、決して対象的な存在ではない。それ自身が第三者にとって対象ではない存在は、いかなる存在をも自分の対象としてもたない。すなわち、対象的に振舞わない。その存在は、けっして対象的なものではないのである。」(仝上)、

というのは当たり前のことだろう。

「思考は存在するものを超えられない」

のである(フォイエルバッハ「ヘーゲル哲学の批判」)。

それにしても、全体が分かりにくいのは、この、

意識の経験の道程、

は、多層な構造になっており、ヘッケルの、

個体発生は系統発生を反復する、

ではないが、

個人の成長史、

であると同時に、

人類文化の精神史、

の側面があり、

西洋史、
キリスト教史、
西洋哲学史、

を直接、あるいはメタファとして、またはアナロジーとして駆使し、

精神の在庫調べ、

の趣があり(加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』「序にかえて」)、その知識がないとさらに、論旨が辿りにくい上に、その背景になっている、アレゴリカルに取り上げられている、

アンチゴネー、
オイディプス王、
ファウスト、
夜盗、
ドン・キホーテ、
ラモーの甥、

等々の諸作品も、直接言及されず、寓意的、アナロジカルに著述されているために、その知識がないと、一層分かりにくい。しかし、その歴史の選択、作品の選択がどの程度合理的なのかは、疑問で、

「ヘーゲルは、さまざまな宗教・哲学・時代・民族のもっとも突出した差異だけを、しかも上昇する階段的進行においてのみ、固定し、叙述し、共通なもの、等しいもの、同一的なものはすっかり背景に退く。かれの見方と方法そのものの形式は排他的な時間だけで、同時にまた寛容な空間ではない。かれの体系は、従属と継起だけを知るだけで、並列と共存についてはなにも知らない。なるほど、最後の発展段階は、いつも、その他の諸段階を自己のうちに取りいれている体系ではあるが、しかしこの最後の段階そのものが一定の時間的存在であり、そのために特殊性の性格をもっているから、それがその他の諸段階を取り入れることは、これからその独立した生命の精髄を吸い出し、これらがその完全な自由の状態においてのみもっている意味を奪わなければ、不可能である。」(フォイエルバッハ(松村一人・和田楽訳)「ヘーゲル哲学の批判」)

と、目的へと一直線に捨象しつつ螺旋階段を駆け上るその姿にも、バベルの塔のイメージが重なる。

全体は、僕には、

救済史、

をなぞるような、

絶対知、

を目的とする、

歴史主義的な構造、

になっていると思える(救済史については、『世界と世界史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/478347758.htmlで触れた。唯物史観はこれをなぞっている)。この全体は、たとえば、

意識の展開や自己形成が同時に学でなければならない、

と、

個人、
人間、
学、

の三つが同時に展開されている(樫山欽四郎)とか、

意識の経験の道程、
人類文化の精神史、
形而上学的演繹と超越論的演繹という二つの課題を一石二鳥で解決するカテゴリー論、

を展開している(加藤尚武)とかの諸説明があるが、この多層な構造は、

古代ギリシャ、
キリスト教の歴史と教義、
フランスの社会と歴史、特に啓蒙思想、フランス革命、
ドイツ観念論、特に、カント、フィヒテ、シェリング、
自然科学についての知識、
ドイツ文学、とくにゲーテとシラー、

というヘーゲルの知的関心をバックボーンとしている(長谷川宏)。それを一々それと言及せずに論述していくのだから、ある種寓意的、メタファ的な部分が多々あるのも、分かりにくさに拍車をかけているように見える。未だに、ヘーゲルが何を指しているかが、論点になったりしているのだから。

しかし、歴史が語られ、自然科学が語られても、あくまで意識の成長プロセスだということを忘れてはならない。つまり、時にマンガチック、ご都合主義な歴史も、またどう見てもおかしい科学知識にしても、あくまで、歴史や科学そのものではなく、意識におけるそれだと考えると、一種免罪符になっているともいえる。

それにしても『精神現象学』は、一種自己完結した世界だと一見思われるが、ラスト、

「精神の完成は、精神が何であるかを、つまり精神の実在を完全に知ることであるから、この知は精神が自分のなかに行くことであり、そのとき精神は自らの定在を捨て、自らの精神を思い出に委ねるのである。精神は、自己のなかに行っているとき、自己意識の夜に沈んでいるが、その消えた定在はその中に保存されている。この廃棄された定在、かつての定在ではあるが、知から新しく生まれた定在は新しい定在であり、新しい精神形態である。この新しい形態のなかで、この直接的な姿でまた無邪気に初めからやり直すべきであり、そこからまた成長していかなければならない。」(樫山訳『精神現象学』)

とある。それは、蓄積された知のレベルは、消えるわけではなく、

「始めるというよりも、一段高い階段に立っているのである」(仝上)

のである。つまり、ゲーテが、

われわれは知っている物しか目に入らない、

といったその認知のレベルが上がっているのである。確かに、マルクスやフォイエルバッハのいうように、ヘーゲルの世界は逆立している。しかし、認識というレベルでいうなら、パラダイム論のT・クーン等新科学哲学派の先駆者N・R・ンソンにならえば、「問題意識を育てる」http://ppnetwork.c.ooco.jp/view04.htmで触れたように、

同じ空を見ていて、ケプラーは、地球が回っていると見、ティコ・ブラーエは、太陽が回っていると見る、

あるいは、同じく、

木から林檎が落ちるのを見て、ニュートンは万有引力を見、他人にはそうは見えない、

のは、われわれは、

知っていることを見ている、

つまり、

知の函数として見る、

からである。そういう知の形成プロセスと考えれば、逆立は当たり前なのである。

では、ヘーゲルより200年近くの後世の我々の、

知のレベル、

はどれだけ上がったのだろうか。頭蓋論についての、

「思想がより拙劣なものであるほど、それだけかえってときとして見わけがたいことがらがある。いったい明確にいえばどこに、その思想の拙劣さが存しているのか、ということだ。それゆえますます困難になるのは、その拙劣さを腑分けすることなのである。というのも、思想が拙劣なものと呼ばれるのは、抽象されたものがより純粋に空虚になるのに応じてのことだからであって、この抽象こそが当の思想にとっては実在として妥当しているものである。」(熊野訳『精神現象学』)

というヘーゲルの言葉は、なかなか皮肉なのである。



なお、

I・カント『純粋理性批判』チューブフィラー (FW)
A・シュヴェークラー『西洋哲学史』http://ppnetwork.seesaa.net/article/475045121.html

については触れた。

参考文献;
G・W・F・ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学(世界の大思想第12巻)』(河出書房)
G・W・F・ヘーゲル(熊野純彦訳)『精神現象学(全2巻)』(ちくま学芸文庫・Kindle版)
G・W・F・ヘーゲル(長谷川宏訳)『精神現象学』(作品社)
G・W・F・ ヘーゲル(長谷川宏訳)『哲学史講義(全4巻)』(河出書房新社)
A・シュヴェークラー(谷川徹三・松村一人訳)『西洋哲学史』(岩波文庫)
フォイエルバッハ(松村一人・和田楽訳)「ヘーゲル哲学の批判」(『将来の哲学の根本問題』)(岩波文庫)
マルクス(城塚登訳)「ヘーゲル弁証法と哲学一般の批判」(マルエン選集1『ヘーゲル批判』)(新潮社)
N・R・ハンソン(野家啓一・渡辺博訳)『知覚と発見』(紀伊国屋書店)
I・カント(篠田英雄訳)『純粋理性批判』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;(17570)キャップ,ウォータアウトレット
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;(SZ101)BOLT

2022年04月12日

大名の下には久しく居るべからず


大名(だいめい)の下には、久しく居るべからず、功成り遂げて、身退くは、天の道なり(太平記)、

にある、

大名の下には久しく居るべからず、

は、

『史記』越王句践世家の范蠡(はんれい)の言、

范蠡以為、大名之下難以久居、

による。『明文抄』(鎌倉初期成の漢語の故事金言集)にも引かれる。

大いなる名誉のもとに長くいてはいけない、

の意である(兵藤裕己校注『太平記』)。「大名(だいめい)」は、

諸葛大名照垂宇宙、宗臣遺像肅清高(杜甫)、

と、

すぐれたる誉れ、
大いなる名誉、

の意で、

大名を揚ぐ、

などと使う(大言海)。



名誉をきわめても、その地位に長くとどまるのは他人のねたみをうけてよくない、早く退(ひ)くのが賢明である、

の意(精選版日本国語大辞典)が正確かもしれない。

「狡兎死して」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485426752.htmlで触れた、

狡兎死して良狗烹らる、

と同じ出典であり、呉を亡ぼして有頂天になる勾践を見て、越から斉(せい)に去った范蠡(はんれい)が越に残る文種(ぶんしょう)に宛てた手紙で、

范蠡遂去、自齊遣大夫種書曰(范蠡遂去り、齊より大夫種に書を遣わして曰く)、
蜚鳥盡、良弓藏(蜚鳥(ひちょう)盡(つ)きて、良弓(リョウキュウ)藏(おさめ)られ)、
狡兔死、走狗烹(狡兎(コウト)死して、走狗(ソウク)烹(に)らる)、

と言ったのと同じ文脈である。文種に、越王の容貌は、

長頸烏喙(首が長くて口がくちばしのようにとがっている)、

と指摘し、「子よ、何故、越を去らぬ」と書いたが、文種は、病と称して出仕しなくなったが越を去れず、謀反の疑いありと讒言され、勾践は文種に剣を贈り、

「先生は私に呉を倒す7つの秘策があると教えて下さいました。私はそのうちの3つを使って呉を滅ぼしました。残り4つは先生のところにあります。私のために先生は亡くなった父王のもとでその秘策をお試し下さい」と伝え、文種は自殺した、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E8%A0%A1


(伝説では、老子は周を去る際、水牛に乗っていたという https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90より)

功成り遂げて、身退くは、天の道なり、

は、

功遂(と)げて身退(しりぞ)くは、天の道なり、

という『老子』の一節に由来する。やはり『明文抄』も引く。

功績をあげて名誉を得たならば、身を引くのが天の道にかなった生き方である、

という意(兵藤裕己校注『太平記』)である。「天の道」は、荘子の、

天道、

あるいは、

天理、

と同義であり、

天、
道、

とも言う、

天地自然の理法、

であり、

人間界と自然界を貫く恒常不変の真理、自然の掟、必然の理法、

の意である(福永光司訳注『老子』)。ふと、

死生有命、富貴在天(論語・顔淵篇)、

を連想したが、

「天命」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163558.html
「天」http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163401.html

で触れたように、

天には、「生き死にの定め」「天の与えた運命」の二つが並列されている。つまり、天命には、二つの意味があり、一つは、天の与えた使命、

五十にして天命を知る

の天命である。いまひとつは、天寿と言う場合のように、「死生命有」の寿命である。だから不慮や非業の死は非命という。

しかし、もうひとつ、

彼を是とし又此れを非とすれば、是非一方に偏す
姑(しばら)く是非の心を置け、心虚なれば即ち天を見る(横井小楠)

で言う「天理」のことでもある。ここでの「天道」は、後者を指していると見える。

『老子』九章には、

持而盈之、不如其已(持してこれを盈(み)たすは、その已(や)むるに如かず)。
揣而鋭之、不可長保(揣(う)ちてこれを鋭くすれば、長く保つべからず)。
金玉滿堂、莫之能守(金玉(きんぎょく)堂に満つるも、これを能く守る莫(な)し)。
富貴而驕、自遺其咎(富貴にして驕(おご)れば、自(み)ずからその咎(とが)を遺(のこ)す)。
功遂身退、天之道(功遂(と)げて身退(しりぞ)くは、天の道なり)。

とある(福永光司訳注『老子』)。「揣(た)」は、

捶(た)もしくは鍛(たん)と同義、

で、

打って鍛える、

義である(仝上)。


(「功」 https://kakijun.jp/page/0522200.htmlより)

「功」(漢音コウ、呉音ク)は、

会意兼形声。工は、上下両面に穴をあけること。功は、「力+音符工」。穴をあけるのは難しい仕事で努力を要するので、その工夫をこらした仕事とできばえを功という、

とある(漢字源)が、

会意形声。力と、工(コウ つくる)とから成り、はたらき、ひいて「いさお」の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(工+力)。「のみ(鑿)又はさしがね(工具)の象形」(「作る」の意味)と「力強い腕」の象形から「仕事・手柄」を意味する「功」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji605.html

参考文献;
福永光司訳注『老子』(朝日文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;(86101)アンテナ コードSUB-ASSY
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2022年04月11日

敗軍の将は以て勇を言るべからず


越王げにもとや思はれけん、敗軍の将は二度(ふたたび)謀らず、と云へり(太平記)、

にある、

敗軍の将は二度謀らず、

は通常、

敗軍の将は兵を語らず、

などとも言うが、

敗軍の将は以て勇を言(かた)るべからず、

が正確、出典は史記、

廣武君辭曰、臣聞、敗軍之將、不可以言勇、亡國之大夫、不可以圖存、今臣敗亡之虜、何足以大事乎(淮陰侯傳)、

にある、

敗軍之將、不可以言勇、

からきている(字源)。



広武君、つまり、

李左車(りさしゃ)、

は、趙の武将。名将李牧の孫。漢の劉邦と敵対した趙は、20万の大軍を擁したが、漢の別働隊の韓信と

井陘(せいけい)の戦い、

で戦い敗れた。


(淮陰侯(韓信) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1より)

戦いに臨んで、李左車は宰相の陳余に、

狭い地形を利用して本隊で守りつつ別働隊で韓信を襲うことを献策したが、陳余は却下した。趙に内偵を送っていた韓信は、李左車の策が容れられなかったことを知って大いに喜び、敢然と攻め入った。結果、隘路を越えて背水の陣を採った韓信に趙軍は敗れ、趙王歇と陳余と李左車は捕虜となった、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%B7%A6%E8%BB%8A、その折、韓信は、李左車に、

燕と斉を破る方法を尋ねたのに対して、上記の、

敗軍之将、不可以言勇、

と答えたもの。

敗戦した将は、兵法について語る資格がない、

といった意だが、

背水の陣、

も、史記の、

謂軍吏曰、趙已先據便地爲壁、且、彼未見吾大将旗鼓、未肯撃前行、恐吾至阻険而還、信(韓信)乃使萬人先行出、背水陳、趙軍望而大笑(淮陰侯傳)、

にある(大言海・https://kanbun.info/koji/haisui.html)。この背水の陣は、武経七書のひとつ、中国戦国時代の、兵法書、

『尉繚子』(うつりょうし 尉繚)、

に、

背水陣為絶地、向阪陣為廃軍(尉繚子・天官篇)

とあり(大言海・字源)、

川などを背後にひかえて、陣を立てること、

は、趙軍が「大笑」したというように、

兵法では自軍に不利とされ、自ら進んで行うものではなかった、

とされる。しかし、20万の趙軍を、狭隘な地形と兵たちの死力を利用して防衛し、その隙に別働隊で城砦を占拠、更に落城による動揺の隙を突いた、別働隊と本隊による挟撃で趙軍を打ち破った、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1。この戦法は、「尉繚子(うつりょうし)」には、

周(しゅう)の武王(ぶおう)が殷(いん)の紂王(ちゅうおう)を破ったとき

の例、「後漢書(ごかんじょ)」銚期(ちょうき)列伝)に、

清陽(せいよう)の博平(はくへい)が銅馬(どうば)の賊を破ったとき、

の例などにみえるhttps://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza46。なお、「陣」(漢音チン、呉音ジン)は、

会意文字。陳(チン)の原字ば「東(袋の形)二つ+攴(動詞の記号)」の会意文字。その東一つを略して、阜(土盛り)→防禦用の砦)を加えたものが陳の本字。陣はその俗字、

とあり(漢字源)、正しくは、

背水の陳、

ということになる。この時の故事から、

千慮の一失(絶対に失敗しないと思われた賢明な人でも、失敗することがあるということ)、
愚者一得(愚か者でも、ときには役に立つような知恵を発揮するということのたとえ)、

という故事も生まれている(故事ことわざ辞典)とある。



「敗」(漢音ハイ、呉音ヘ・ベ)は、

会意兼形声。貝(ハイ・バイ)は、二つに割れたかいを描いた象形文字。敗は「攴(動詞の記号)+音符貝」で、まとまった物を二つに割ること、または二つに割れること。六朝時代までは、割ることと割れることの発音に区別があった、

とあり(漢字源)、「敗」は「勝」と対で、

破、
廃、

と類義語になる。なお、

会意形声。「攴」(=撲)+音符「貝」、「貝」は二枚貝の象形であり、貝殻が打たれて二つに分かれることを意味する、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%97

形声文字です(貝+攵(攴))。「子安貝」の象形(貝の意味だが、ここでは「敝(へい)」に通じ(「敝」と同じ意味を持つようになって)、「やぶれる」の意味)と「ボクッという音を示す擬声語・右手の象形」(「手で打つ・たたく」
の意味)から「やぶれる」を意味する「敗」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji671.html



「軍」(慣用グン、漢呉音クン)は、「六軍」http://ppnetwork.seesaa.net/article/486344877.html?1649359041で触れたように、

会意文字。「車+勹(外側を取り巻く)」で、兵車で円陣を作って取巻くことを示す。古代の戦争は車戦であって、まるく円をえがいて陣取った集団の意、のち軍隊の集団をあらわす、

とあり(漢字源)、「軍団」のように兵士の組織集団をさすが、古代兵制の一軍の意もある。

「勹」は車に立てた旗を象ったもので象形、

とする説もあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BB%8D。別に、

会意文字です(冖(勹)+車)。「車」の象形(「戦車」の意味)と「人が手を伸ばして抱きかかえこんでいる」象形(「かこむ」の意味)から、戦車で包囲する、すなわち、「いくさ」を意味する「軍」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji660.html



「將(将)」(漢音ショウ、呉音ソウ・ショウ)は、

会意兼形声。爿(ショウ)は長い台をたてに描いた字で、長い意を含む。將は「肉+寸(て)+音符爿」。もと、一番長い指(中指)を将指といった。転じて、手で物を持つ、長となって率いるなどの意味が派生する。また持つ意から、何かでもって処置すること、これから何か動作をしようとする意などを表す助動詞となった。将と同じく「まさに~せんとす」と訓読することばには、且(ショ)がある、

とある(漢字源)。別に、

形声。寸と、音符醬(シヤウ は省略形)とから成る。「ひきいる」、統率する意を表す。借りて、助字に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(爿+月(肉)+寸)。「長い調理台」の象形と「肉」の象形と「右手の手首に親指をあて脈をはかる」象形から、肉を調理して神にささげる人を意味し、そこから、「統率者」、「ささげる」を意味する「将」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1013.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;(36752)スイツチ アツシー,リターダー,インストルメント,エレクトリツク
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;AAタイプピンゲージバラ

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2022年04月10日

禿筆


(細川清氏は)河内国に居たれども、その旧好を慕ひて尋ね来る人も稀なり。ただ秀(ち)びたる筆に喩へられし覇陵の旧将軍に異ならず(太平記)、

の、

秀(ち)び、

は「ちび」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464469440.htmlで触れたように、

擦り減る、

意で、

古形ツビ(禿)の転、

とあり(岩波古語辞典)、「つび(禿)」は、

ツビ(粒)の動詞形(つぶ)、

で、

角が取れて丸くなる、

意であり

ちび下駄、
ちび鉛筆、

のそれである。これは、

ツブルと通ずる(和句解・和訓栞)、
キフル(髪斑)の義(言元梯)、

を語源とする「ちび(禿)る」に由来し、

粒、

から来ているとみていい。

「つぶ」は、「つぶら」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464485052.htmlで触れたように、

つぶら(圓)の義、

とし(大言海)、

丸、
粒、

とあて(岩波古語辞典)、
ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根(岩波古語辞典)、
ツブラ(円)義(東雅・夏山談義・松屋筆記・箋注和名抄・名言通・国語の語根とその分類=大島正健・大言海)、

などから見て、「粒」の意から出ているとみていい。なお、「ツブシ」が「粒」と関わるのは、「くるぶし」http://ppnetwork.seesaa.net/article/458644074.htmlでも触れた。

禿びた筆、

は、

先のすり切れた筆、

の意で、

戯拈禿筆掃驊騮(カリュウ 名馬の名)歘(タチマチ)見麒麟出来壁(杜甫杜「壁上の韋偃(イエン)の画ける馬に題する歌」)、

と、

禿筆(とくひつ)、

と訓む漢語で、

禿毫冰硯竟無奇(范成大)、

と、

禿毫(とくごう)

ともいう(字源)。また、

敗筆、

ともいい(大言海)、

古くなった筆、

の意の外に、

即使是名家的书法、也不免偶有败笔、

と、

書道の大家であっても、たまの書き損ないは免れない、

弘法も筆のあやまり、

の意で、

(書画・文字・文章などの)できの悪いところ、書き損ない、

の意でも使うhttps://ja.ichacha.net/mzh/%E6%95%97%E7%AD%86.html

「和語」としては、

擦り切れた筆、

の意の外に、

禿筆を呵す(とくひつをかす)、

というように、「呵す」は、

息を吹きかけること、

で、

穂先の擦り切れた筆に息を吹きかけて書く、

の意、転じて、

下手な文章を書く、

と、

自分の文章の謙遜語、

としても使う(デジタル大辞泉)。なお、「禿筆」は、和文脈では、

ちびふで、
かぶろふで、

とも訓ませる(精選版日本国語大辞典)。

また、冒頭引用の、

びたる筆に喩へられし覇陵の旧将軍に異ならず、

にある「覇陵の旧将軍」は、

漢の前将軍李広が、覇陵(陝西省(せんせいしょう)長安県)を通りかかって役人に通行を止められた。李広の従者が名乗ると、現職の将軍でさえ、夜間の通行は禁じられていると言われた(史記・李広将軍列伝)。この故事から、世に力を失った人を、「覇陵の旧将軍」といい、宋の詩人林通(字は達夫)は、李広を「禿筆」に喩えた、

とある(兵藤裕己校注『太平記』)。なお、李広は、司馬遷から、

桃李言わざれども下自ずから蹊(ミチ)を成す(桃や李の木は何も言わないが、その下には自然と人が集まって道ができる)、

とその人柄を評された、とある(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%BA%83)。



「禿」(トク)は、

会意。「禾(粟が丸く穂を垂れるさま→まるい)+儿(人の足)」。まるぼうずの人をあらわす、

であり(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A6%BF)、「はげ」とか「筆のすりきれる」意である。



「筆」(漢音ヒツ、呉音ヒチ)は

会意文字。「竹+聿(手で筆を持つさま)」で、毛の束をぐっと引き締めて、竹の柄をつけたふで、

とある(漢字源)が、「聿」(漢音イツ、呉音イチ)は、

筆の原字。ふでを手にもつさまをあらわす。のち、ふでの意味の場合、竹印をそえて筆と書き、聿は、これ、ここなど、リズムを整える助詞をあらわすのに転用された、

とある(仝上)。「聿」は象形文字で、それのみで「ふで」を意味する。「筆」は、竹製であることを強調したものである。


(「聿」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%81%BFより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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